ティナ・ターナー、家庭内暴力を乗り越え自立した女性をめざして 歌で世界に愛と勇気を与えた生涯

「どうやって稼げばいいかもわからなかった」と、後に本人は語っている。「アイクは私には無理だと思っていたけれど、家を見つけられた。そしたらアイクは子どもたちと最初の1か月分の家賃を送ってきた。金が尽きたら戻ってくるだろうと思っていたのね。最初の夜は床で寝た。家具もレンタルだった。子どもたちに持ってこさせたブルーチップギフト券があったので、それで食器類を手に入れた」

別れる決心をつけられたのは仏教と出会ったおかげだともターナーは言う。「欠かさず祈る……それが私の力になった」と、1986年にターナーはローリングストーン誌に語っている。「心理的に私は自分を律していた。だからドラッグもやらなかったし、酒も飲まなかった。自制を保ち続ける必要があったの。それでずっと精神世界に答えを求め続けたわ」


1986年、米ローリングストーン誌の表紙を飾るティナ・ターナー

トレードマークともいえる独特の声の持ち主で、元夫と数々の業績を成し遂げたにも関わらず、ソロアーティストとしてはなかなか芽が出なかった。ブレイク前にリリースされた1974年の『Tina Turns the Country On』をはじめ、ソロ作品は鳴かず飛ばずで、アイクやIRS関連のツアーをキャンセルしたことで生じた借金を返済するために8年も巡業生活を送った。

自分を避けているかのような業界で、自分の居場所をキープするために、彼女は安酒場で演奏したり『Hollywood Squares』のようなバラエティ番組やゲーム番組に出演した。最近公開されたドキュメンタリー『Tina』で語られる、驚きのエピソードがある。80年代に新たにレーベル契約を結ぼうとしたところ、会社のお偉いさんが彼女を人種差別的な呼称で呼んだため、お流れになりそうになったこともあった。

ターナーの復活劇が始まったのは1982年。イギリス出身のシンセバンド、ヘヴン17が、テンプテーションズの「ボール・オブ・コンフュージョン」のカバー曲でターナーを起用したのだ。この曲をきっかけに、ターナーはキャピトルと新たに契約。マネージャーのロジャー・デイヴィスが彼女とヘヴン17に、アル・グリーンの「レッツ・ステイ・トゥゲザー」をカバーしては、と持ちかけると、全米シングルチャート30位圏内にランクイン。友人のデヴィッド・ボウイのサポートもあり、ターナーはキャピトル移籍第1弾となる『プライヴェート・ダンサー』のレコーディングに取りかかった。

シンセサイザーや現代的な演出を盛り込もうというデイヴィスと彼女の意向から、イギリス人ソングライターのテリー・ブリタンが手がけた「愛の魔力」などの楽曲をリリース。この曲のデモをターナーは気に入らなかったが、「もう少しラフに、シャープにとがらせてほしい」とアドバイスされた、と後に語っている。



アドバイスをもとに彼女が息を吹き込んだこの曲は3週連続チャート1位を獲得し、MTVの定番ソングになった。彼女クラスの60年代の大御所ではまれにみるほどの勢いで、ターナーのキャリアも盛り返していった。レトロサウンドに背を向け、10年以上ぶりに彼女の声を披露した『プライヴェート・ダンサー』で、ターナーは(MTVにおあつらえ向きのウィッグ、ピンヒール、網タイツとともに)新世代の若いオーディエンスの前に登場。「愛の魔力」はグラミー賞3部門を受賞した(最優秀年間レコード賞、女性ポップボーカル賞など)。これも彼女の意思の強さを表しているエピソードだが、TV中継された授賞式でターナーはインフルエンザに罹っていたにも関わらず、この曲をライブ演奏した。

『プライヴェート・ダンサー』の成功は、ポップカルチャーへの返り咲きの序章に過ぎなかった。翌年にはメル・ギブソン主演の『マッドマックス/サンダードーム』にアウンティ・エンティティ役で出演――映画の挿入歌「孤独のヒーロー」も、これまたヒットとなった。スター勢ぞろいの「ウィー・アー・ザ・ワールド」の収録にも参加したり、ライブ・エイドではミック・ジャガーと共演してステージを沸かせた(こうしたことのおかげで、「たっぷり稼いで、借金を全額返済できた」と後に本人も語っている)。1986年には初の回顧録『ティナ』を出版。ローリングストーン誌のカート・ロダー記者との共著はベストセラー入りとなった。マッドマックスの別の挿入歌「One of the Living」は、1985年のグラミー賞で最優秀女性ロックパフォーマンス賞を受賞した。


1985年のグラミー賞でパフォーマンスをするティナ・ターナー (Photo by Bettmann Gety Images)


ターナーは1981年のピープル誌とのインタビューで、初めて公の場でアイクとの波乱万丈な結婚生活を語ったが、伝記『ティナ』ではさらに詳しく描かれている。結果として、ベストセラー入りしただけでなく――他のロックスターがペンをとる際のひな型になったのは間違いない――家庭内暴力の犠牲者に希望の光を与える1冊にもなった。ターナー本人も、社会全体で家庭内暴力撲滅に取り組むよう働きかけを行った。

Translated by Akiko Kato

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