ティナ・ターナー、家庭内暴力を乗り越え自立した女性をめざして 歌で世界に愛と勇気を与えた生涯

「生活費をくれる男の言いなりにはなりたくない」と、1986年のローリングストーン誌とのインタビューでも語っている。「もうビクビクするのはたくさん。昔は、人生でほしいものを手に入れるためには結婚するしかないと思っていた。でもそうしたものを自分のために、自分で手に入れられるんだと気づいたら、すごく気持ちがよくなった。自分のことは自分で面倒みられる、男に頼らなくてもいい、愛を分かち合うだけでいいんだと感じたわ」



1989年にリリースしたアルバム『Foreign Affair』は、またもや数百万枚のセールスを記録。さらにボニー・タイラーの「ザ・ベスト」のカバーも大ヒットした。ターナーにとってその後の10年は、キャリアの再確認だった。1993年には『ティナ』が映画化され、アンジェラ・バセットが本人役を、ローレン・フィッシュバーンがアイク役を演じた。映画のサウンドトラックのひとつ「I Don’t Wanna Fight」が、ターナー最期のトップ10入りシングルとなった。

ターナーを演じてアカデミー賞最優秀女優賞にノミネートされたバセットは、シンガーの訃報のあと声明を発表。「痛みやトラウマを抱え、それを踏み台にして世界を変えようとしてきた女性に、どうお別れを言えばいいのだろう? 自分の物語を思い切って語り、犠牲も顧みずに人生をまっすぐ突き進み、強い意志で自分や他のアーティストのためにロック界に道を切り開いてきたティナ・ターナーは、怯えて暮らしていた人たちに、愛と思いやり、自由に満ちた明るい未来の姿を見せてくれた」

ターナーはその後もシングル「Better Be Good to Me」やライブアルバム『Tina Live in Europe』、2007年にハービー・ハンコックがリリースしたジョニ・ミチェルへのトリビュトアルバム『River: The Joni Letters』に参加し、グラミー賞を受賞した。ちなみに後者で、ターナーはミチェルの「Edith and the Kingpin」を歌っている。

1999年には最期のアルバムとなる『Twenty Four Seven』をリリース。プロデューサーには、シェールの「ビリーヴ」も手掛けたチームが参加している。アルバムは前作ほど商業的にはヒットしなかったが、数々の賞を受賞し、批評家からも絶賛された。2005年にはトニー・ベネット、ロバート・レッドフォードなどとともに、当時のジョージ・W・ブッシュ大統領からケネディセンター栄誉賞を授与され、ビヨンセが「プラウド・メアリー」を披露して祝福した。



2008年から2009年にかけて、ターナーは音楽生活50周年記念ツアーを敢行。彼女の半生を描いたミュージカル『ティナ』は2018年にロンドンで初上演された後、翌年ブロードウェイでも上演された。主役を演じたアドリエンヌ・ウォーレンは2020年にトニー賞ミュージカル部門最優秀女優賞に輝いている。

ターナー本人ものちに語っているように、彼女の半生やアイクとの日々を語り継いだ結果――映画であれ、ミュージカルであれ、ドキュメンタリーであれ――代償もついて回った。彼女の苦労は他の人々に力を与える一方で、本人は当時の記憶を絶えず再現しなければならず、アイクが2007年に他界した後もアイクについて質問された。「彼は私をスタートラインに乗せてくれた。最初のうちは優しかったのよ」と、ドキュメンタリーの中で本人は語っている。「だから良かったなと思うこともある。多分、彼と出会えたのはいいことだったわ。出会えたことはね。多分だけど」

1986年、ターナーは音楽業界の重役でドイツ人のアーウィン・バックと出会い、ほどなく交際を始めた。最初はドイツに移り住み、のちにスイスに移住。2013年に結婚式を上げたものの、3週間後に脳卒中を患い、近年は小腸ガンも発症していた。腎不全が疑われたことから、2017年に夫のバック氏から腎臓を提供してもらう。「アーウィンが臓器を提供してくれたのは、ある種の取引だと思う人がいるなんてね」と、2018年の回顧録『My Love Story』でティナはこう書いている。「私たちが過ごしてきた時間を考えれば、アーウィンがお金や名声目当てで私と結婚したと考える人がいまだにいるなんて、信じられない」

「力強さととんでもないエネルギー、底なしの才能を備えた彼女は唯一無二の存在で、まさに自然の驚異です」と、長年マネージャーを務めたロジャー・デイヴィスはローリングストーン誌に宛てた声明の中でこう語った。「1980年に初めて彼女と会ったとき、周りからの支持がほとんどない中で、彼女は自分に自信を持っていました。マネージャーとして、そして親しい友人として30年以上を共にすることができて光栄至極です。心からご冥福をお祈りします」

1986年のローリングストーン誌とのインタビューで、彼女はオーディエンスとのつながりを振り返ってこう語っている。「私の曲は、私を見守っている人たちの生活を少しばかり反映している。みんなが共感できることを歌わないとね。中には不埒な人間もいる。この世の中は完璧じゃない。そういうこと全部が私の演技に表れている……だから私は歌よりも演技が好きなのね。演技の場合、役を演じても許されるでしょ。毎晩同じ役をやっていると、それが素だと思われてしまう。演技だとは見てもらえない。それが音楽人生で負った傷ね。もちろんそれも承知の上よ」  

Translated by Akiko Kato

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