佐橋佳幸と亀田誠治が語る、稀代の編曲家・大村雅朗のアレンジ



一番初めに出会ったときってどんな感じでした?

佐橋:怖かったです。

亀田:怖かった?

佐橋:バサッと譜面を置いて「初めまして佐橋っていいます」って言ったら、「聞いてるよ」とか言って「まずこの曲」って聞かされて。全曲僕はダビングだったの。

亀田:なるほど。

佐橋:ベーシックができていて、それこそ福岡でもご一緒した今剛さんとか松原正樹さんのかっこいいギターが入っいるところに「ちょっと一色加えて欲しいんだよね」って言われて。アコースティックギターとエレキギター両方持っていったら、「生ギターも弾けるんだ。ちょっと何かやってみて」みたいな感じでセッションが始まって、1日目2曲ぐらいやったらそっからまた呼んでもらえて。

亀田:気に入られたんだよ。一発合格だ!

佐橋:それがご縁で、大村さんの他の方の作品とかも呼んでいただけるようになったんです。そんなご縁があったので、このコンピレーションアルバム、それから先日の福岡でのトリビュートライブの音楽監督の話が来たとき、「俺一緒にこのイベントをやりたい人がいるんですよ」って言って、亀ちゃんの名前を出して。なぜ亀ちゃんに声をかけたかったかっていうと、大村さんが福岡から編曲家として東京に出てくるきっかけになった下成佐登子さんというシンガーソングライターがいらっしゃったんですね。彼女は何枚も大村さんと一緒に作品作りをされていて、大村さんのお仕事でコーラスとか仮歌を歌ったり、そういうとこで下成さんと知り合ったんですよ。で、その下成佐登子さんの旦那さんが亀田誠治なんです。

亀田:そうなんです。今回指名された中で、僕は大村さんにお会いしたことがないんです。なぜかというと、僕は25歳のときまでアマチュアで、アマチュア時代が長く、生前の大村さんにお会いすることなくプロになってしまったんです。僕はベースプレイ以外にもアレンジとかプロデュースみたいなことをするんですが、僕が20歳の頃に学校をさぼって入った喫茶店で有線か何かで音楽が流れてきたんです。今までに聞いたことがない、むちゃくちゃモダンな J-POP がかかっていて。大澤誉志幸さんの「そして僕は途方に暮れる」ってDJが言った瞬間に、この音楽はすごいと思って即、貸しレコード屋に行って、それをレンタルしたら編曲・大村雅朗って。プロのミュージシャンになりたいと漠然と思っていたんだけど、どうしていいのかもわからなくて。この編曲・大村雅朗って書いてあるのを見て編曲家になりたいと思ったんです。サウンド全体を手がける仕事、その道を自分が極めたいって。初めてアレンジに興味がわいて、サウンドをデザインしたい、いい音で録りたい、すごいものを作りたいというきっかけを大村さんの楽曲が与えてくれた。そんな僕がアレンジャーを目指そうというきっかけになった曲を聞いてください。

Rolling Stone Japan 編集部

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