三浦光紀が語る、ベルウッド・レコード創立の裏側とニューミュージックの真意



田家:FM COCOLO 「J-POP LEGEND FORUM」 ベルウッド・レコード50周年。日本の新しい音楽の土台を作り上げたベルウッド・レコードの50周年を記念した特集です。ベルウッド・レコードの創設者・音楽プロデューサーの三浦光紀をゲストにお迎えしております。今週はパート2。流れてるのはこの番組の後テーマ竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

ニューミュージックという言葉は、70年代の半ばから80年代にかけて頻繁に使われ、新しい音楽の総称になりました。いつから使われるようになったのか、一時議論のマトになったんです。最初は1969年に『ニューミュージックマガジン』というタイトルの雑誌が創刊されて、これがたぶん世の中に出た最初だと思います。創刊号にはビートルズやボブ・ディランに影響されて生まれた新しい音楽というようなことが書いておりました。ポール・ウィリアムスという海外の評論家の方が60年代の初めに使っていた。70年代に入ってもっと広い意味の新しい日本語のポップミュージックというような使われ方になったんですね。その中にはオフコース、ユーミン、チューリップといったポップ系の人たちも含まれるようになった。

でも、『ニューミュージックマガジン』の後に何度か使われてるんです。例えば、シュガーベイブの最初のアルバム『SONGS』の帯にもニューミュージックという言葉が使われてました。「ニューミュージックの進むべき道がここに見えた」だったかな。1973年の中野サンプラザのお披露目のコンサートが「ニューミュージック」というシリーズコンサートだった。これには五輪真弓さんがいて、五輪さんがニューミュージックという言葉を使っていたので、そういうふうになった。でもベルウッド・レコードの企画書で使われたのは音楽業界の中で一番古いものになるんでしょう。三浦さんがそういう企画書を作った、そんな話が今週明らかになりました。新しい音楽がここから始まった、そんな1ヶ月であります。



<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

「J-POP LEGEND FORUM」
月 21:00-22:00
音楽評論家・田家秀樹が日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出す1時間。
https://cocolo.jp/service/homepage/index/1210

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Rolling Stone Japan 編集部

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