三浦光紀が語る、ベルウッド・レコード創立の裏側とニューミュージックの真意



三浦:大瀧さんは、はっぴいえんどの中で一番、メロディの分かりやすい、綺麗な曲を書ける人ですよね。はっぴいえんどは言葉が難解だったのと、当時のサウンドも含めてあまり理解されなかったんで、まず大瀧さんをソロで出して、次に細野さんを出して、それで茂さんを出していこうと。まず、大瀧さんの美しいメロディーではっぴいえんどファンを増やしていこうかなと思って声をかけました。それで、大瀧さんが「細野さんと相談します」って言って「OK 出たからやりましょう」ってことで一緒にやることになったんですよね。だから巷では大瀧さんがソロアルバムを作って解散したみたいなことを言われてるんですけど、全然違うんですよ。大瀧さんが出す時にまず、シングル盤を6枚出したいと、それで12曲になりますよね。それで『乗合馬車』ってタイトルのアルバムを出すという形でやってたんです。3枚ぐらい出したんだけど、宣伝部に毎月出されると、もう宣伝できないと言われて断念して。

話はまた横道にそれるんですけど、当時はベルウッドにキャロルのデモテープも来てた。それで井岸さんという名古屋のセールスマンで、ロックンロール好きな人がいて。すごく良いプロデューサーになるなと思って、会社の制作部に引っ張ったんです。そしたらその人は運悪く、ディレクターで演歌班に行っちゃったんですよ。それで僕のところに来て「三浦ちゃん、俺今デモテープを2つ持ってるんだけど」って言って聴かせてくれたのが一つはキャロル。もう一つはフィンガー5なんですよ。「演歌班の俺はできないから、三浦ちゃんやってくれないか」って言うんだけど、ベルウッドにはちょっと合わないなと思って。でも、2つとも売れると思いました。だから井岸さんに「これだったらもう会社辞めて、他でやったら絶対売れるよ」って言ったの。そしたらフィリップスに行って、ドーンとヒットしちゃって。そういうのも含めて、大瀧さんはいろいろなアイデアを持っていて、これもその中の一つだったんです。

田家:大瀧さんと矢沢さんが並んだ、この話がすごいですね。三浦さんじゃなかったらこういう話は絶対に出てこないなと思います。大瀧さんの1stアルバムからこの曲をお聴きいただきます。「あつさのせい」。



田家:「ウララカ」にしても「空飛ぶクジラ」にしても「あつさのせい」にしてもはっぴいえんどとは全然違いますよね。

三浦:そうですよね。このときはたまたま林さんと茂さんが来てくれて、ベースが細野さんだったんですね。これが後のキャラメルママになって『HOSONO HOUSE』、南正人さんに繋がっていくことになるんですけど、渡さんの「自転車に乗って」のときはあまり気が付かなかったけど、このドラムもすごいエッジが効いてるなと思って。松本さんと違う意味でいいなと思ったので、これで僕は林さんを見直したというか、すごいなと思いました。

田家:でもこういうポップス、ロックンロールについて、グリー・クラブ出身の三浦さんはどんなふうに思ってらしたんですか。

三浦:いや、僕は他の音楽を知らなかったから、たまたまグリー・クラブに行っただけで。ただコーラスというか、中学時代もトーケンズの「ライオンは寝ている」とか、ああいうのもコーラスが好きで聴いていて。だから、コーラスもシンガーズ・スリーを連れて来たのも僕だし、ジャンルはなんでもいいものはいいと思ってました。ロックンロールももちろん好きだったんですけどね。

Rolling Stone Japan 編集部

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