三浦光紀が語る、ベルウッド・レコード創立の裏側とニューミュージックの真意



田家:友部さんも居候してらっしゃったんですか(笑)。

三浦:「赤色エレジー」のシングル盤をレコーディングしてたんですけど、当時ベルウッドの人たちって、例えば大瀧さんのレコーディングをするときも渡さんとか加川良さんとか遊びに行ってたり、はっぴいえんどの『風街』とかレコーディングにみんな行ってるんですよ。そこにたぶん恭蔵さんと友部さんが来てたんだと思うんですけど。それであがたさんが僕の家に連れてきたんですよね。友部さんがマヤコフスキーの詩の話をし始めて、僕はマヤコフスキーなんか聞いたことないからすごい詩人の本を読んでるんだなと思って、耳をすませて聞いてたんですよね。そしたら段々段々自分の持ち歌を歌うような流れになってきて、あがたさんが「赤色エレジー」を歌って、僕は聞いたことなかったんですけど、恭蔵さんが「プカプカ」を歌ったんですよ。恭蔵さんは「自分の曲は全部大塚まさじさんのために作った曲なんで」という断りを入れながらオリジナルを歌ってくれて、めっちゃくちゃ良かった。そしたら友部さんが「一本道」をまた歌って。だから「赤色エレジー」と「プカプカ」と「一本道」は3人で話してたので、そのままいただきますっていただいただけなんです。

田家:それはお宅で?

三浦:そうそう。友部さんはもうソニーでアルバムが決まってるんです。当時URCの主流派は岡林さんとか赤い風船で、はっぴいえんども渡さんも友部さんも主流じゃないですよね。僕はそんなことは全然知らないでいいと思ったからやったんですけど、URCはベルウッドに行く人とソニーに行く人を分けてたんです。ソニーには僕の1年後輩の前田仁がプロデューサーでいて、彼に友部の「一本道」だけは僕にやらせてくれと頼んで。それで友部さんの了解も得てやらせてもらったんです。だからすごく変則的なんだけど、とにかくこの曲が好きで。しかも渡さんのことを歌ってるわけですから、ベルウッドにも関わりがある。録音する時は細野さんがベースを弾いているんですけど、友部さんがそれをカットしたんですよね。あとで「カットしなきゃ良かったかなぁ」とかって言ってましたけど。

田家:みんな見に来て遊びに来て、気になって、やりたがってという。

三浦:見に来て細野さんとかのプレイを見ると「やっぱりベースは細野さんだな」ってみんな思うじゃないですか。ギターは茂さんだなとか、バイオリンは武川さんとか。もうほとんど同じメンバーでやってるんですよね。

田家:なるほどね。そういうベルウッド・レコード、シングル第一段発売3枚が「赤色エレジー」、「一本道」、もう1枚がこれでした。大瀧詠一さん「空飛ぶくじら」。

Rolling Stone Japan 編集部

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