The 1975、リナ・サワヤマ擁する「Dirty Hit」レーベルオーナーが明かす革命の裏側

The 1975との邂逅

―2009年にDirty Hitを立ち上げたのも、そういう思いがあったからですか?

ジェイミー:うん。僕はその時点で2組のアーティストを抱えていて、その一つがThe 1975、もう一つがベンジャミン・フランシス・レフトウィッチだったんだけど、どちらも契約してくれるレーベルがいなくてね。


ベンジャミン・フランシス・レフトウィッチは、The 1975最新作『Being Funny in a Foreign Language』収録の「Oh Caroline」を共同作曲

―The 1975が契約獲得に苦労していたというのも、今では信じられない話です。

ジェイミー:いろんなレーベルが「ウチと契約しよう」と口頭で言っておきながら、最終的に手を引くことが続いて、マシューは精神的に参っていた。The 1975に関してはみんな戸惑っていたんだ。マシューは同じようなサウンドの曲を絶対に作りたがらなかったから。でも、僕はそれこそがバンドの個性だと思っていた。しかも彼らは当時、7インチのシングルを話題作りで自主制作していた。レコード契約に漕ぎ着けるためにね。そんなふうに、何もかもセルフプロデュースできるところも気に入っていた。彼らは初めから他人に口出しされることなく、自分たちの表現やビジョンをコントロールすることができていたわけだ。

―あなたは彼らと知り合った当初、「もっと大きなレーベルと契約すべきだ」と考えていたそうですね。

ジェイミー:僕のほうから(契約を)強要したことは一度もなかった。自分たちの手に負えるとは思ってなかったから。マシューの野心も知っていたし、彼のポテンシャルを発揮させてあげられるだけの予算も、まだ自分たちのレーベルにはなかった。でもある日、彼のほうから「Dirty Hitと契約できないか」と言ってきたので、そんなことは気にせず、自分たちでやるべきだと腹を括った。絶対に人の言いなりにはならないという二人の意地が優ったということだ(笑)。


The 1975、2010年のライブ映像(当時はDrive Like I Do名義)

―そんなふうにデビュー前からThe 1975のマネージャーを務め、彼らはDirty Hitの看板バンドであるわけですが、マネージャーとして、レーベルオーナーとして、自分がどんな貢献をしてきたと思いますか?

ジェイミー:それは彼らに聞いてもらったほうがいいかもしれない。僕はただ、マシューのビジョンに共感し、彼が大切なアーティストだと確信していた。そしてこれまでの経験から、それを守ってあげなければいけないという気持ちが強かった。だから僕は、彼のやりたいことを支えながら共に歩んできたんだ。

結果的に、彼らはDirty Hitの共同経営者となった。(2019年に)The 1975がDirty Hitと契約更新する段階になって、「彼らにレーベルの株を分ける以外の選択肢はないと思う」と自分の弁護士に話をしたのを覚えている。なぜなら、彼らはこれまで多大な貢献をしてくれたから。このレーベルは彼らを中心に大きくなったわけで、自分としても唯一納得できる、とるべき行動だった。もちろん、今でも過半数を所有しているのは僕だけど、バンドにも株主になってもらうことにしたんだ。


ビーバドゥービーとマシュー・ヒーリー。The 1975のマシューとジョージ・ダニエル(Dr)は、Dirty Hitの実質的なクリエイティブ・ディレクターを務め、スカウト活動や共作/プロデュースなどを通じて後進をフックアップしてきた。(Photo by Mike Marsland/BFC/Mike Marsland/Getty Images)

Translated by Yuriko Banno

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