The 1975密着取材 マシュー・ヒーリーが探し求める「本物の愛」

The 1975のマシュー・ヒーリー (Photo by Samuel Bradley)

The 1975のマシュー・ヒーリー、北ロンドンにある自宅での密着取材が実現。「二度とインタビューを受けない」と明言していた現代最重要バンドのフロントマンが、10月14日に発表されるニューアルバム『Being Funny in a Foreign Language』について大いに語った。16000字ロングインタビューの前編をお届けする。

>>>【後編はこちら】The 1975のマシュー・ヒーリーが見つけた「希望」 アートの可能性とバンドの未来を語る

i.「新章」の幕開け

筆者は今、質問にどう答えるべきかをスローモーションで思案しているマシュー・ヒーリーの横顔を、彼の右隣から見つめている。照明は左側からガラス越しに当てられており、その向こう側には見事な日本庭園がある。The 1975のフロントマンが、回答にこれほど時間を要していることが意外だった。(少なくとも音楽の世界において)ミレニアル世代の代弁者と呼ばれてきた彼は、鋭い引用のストックを常に用意しており、必ずと言っていいほど賛否両論を呼ぶツイートをつい最近まで連発していた。しかし、それはもはや過去の話だ。彼は世間から袋叩きにされることにうんざりし、今以上に有名になるまいと固く心に誓っている。

足袋ブーツを履いてマリファナを吸っているという点を除けば、彼の姿はオーギュスト・ロダンの『考える人』を彷彿とさせる。マシューはきっとこの比喩を気に入ってくれるはずだ。何しろ彼は、脳内に蓄えた膨大な量の文化的レファレンスと自意識を絶妙なバランスで紐付けるという離れ業を得意とするのだから。隣の部屋に飾られた、初版の『Infinite Jest』の冒頭から約4分の1辺りのところには付箋が貼られている。デヴィッド・フォスター・ウォレスのファンだからというのもあるが、(1000頁を超える)同書を所有する人々がみな4分の1ほど読んだ時点で諦めるというジョークの方が重要に違いない。白人のストレートの男性である彼がアートやアイデアについて積極的に語ることは、このポストモダンで虚無的な超消費社会の大衆からはキザだとみなされることも多い。頭の回転は速いが利口なわけではないと自分では考えているが、2016年の本誌US版インタビューでの「相当ウザいけど誠実なやつ」という発言からも、世間が自分のことをどう見ているのかを自覚するだけの賢明さを彼が備えていることは確かだ。


ローリングストーンUK版の表紙を飾った、The 1975のマシュー・ヒーリー (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)

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このイントロダクションから遊び心を読み取ってもらえれば幸いだ。マシューがユーモラスでナイスガイだからというのもあるが、ドラマティックな効果を狙って間を挟むような話し方をしているように書かないでほしいとはっきり言われたからだ。実際に、彼の発言はドラマティックというよりはアクティブという表現の方がしっくりくる。彼が来るニューアルバムについて公の場で語るのも、2020年に「もうインタビューはやらない」と明言して以来、ジャーナリストと向き合うのも今回が初めてとなる。「あんまり好きじゃないのは事実だよ、怖いからね」と彼は語る。「発言がどの程度正直であるべきなのか、判断がつかなくなってしまってたんだと思う」

「自分を救世主のように感じることがある」とうっかり口にしたり、テイラー・スウィフトと付き合った男は骨抜きにされるという持論を展開したり、深く考えずにヒップホップの世界におけるミソジニーについて言及したりしてきた彼は、世間からの批判を一手に引き受けるという役目に心底疲れ果ててしまっていた。後悔しては叩かれるという悪循環の原因は大抵、メディアかソーシャルメディア上での不用意な発言だった。また、マシュー・ヒーリーとして人前に出ることが仕事だという厄介な事実を、彼は取材を受けるたびに再認識させられていた。時折「おとなこども」な自分を自覚する人物にとって、それは天職とは言い難い。現在33歳の彼が(Kevin the Teenagerの声を真似て)「やりたくない」と駄々をこねることを、世間は許容してくれない。現場にやってきて取材を受けることは、彼にとって大きな心労を伴う行為なのだろう。

インタビューが記事化されるにあたって、彼が何を懸念しているのかはよく分かる。彼のジョークが筆者を笑わせるところは読者には伝わらないし、文字にすると一層大胆に思える彼の発言が記者の質問への返答であることも見落とされがちだ。彼は自身の声がファンベースと批評家たちからの評価をもたらしたこと、そして賛否両論あれど注目せずにはいられない文化人というイメージに結びついていることを自覚している。だからこそ、本誌UK版の撮影で初めて対面した時も、北ロンドンにある彼の自宅を訪ねた時も、PR担当者とマネージャーが同席しているにもかかわらず、彼はやや緊張気味だった。真意が伝わる言葉を慎重に選び、オフレコでは思慮深く微笑ましいことを口にし、発言の意図が筆者に伝わっているかどうかを確認していた。パラノイア気味(おそらく正当化されるべき)なところもあり、録音が継続されているか確かめようと筆者が取材の途中でケータイを手にしたところ、彼は自身のスマートフォンを筆者の前に差し出した。画面に目をやると、彼が我々の会話を自身のケータイでも録音していたことがわかった。


Matty wears coat by Ann Demeulemeester, shirt, Matty’s own (Photo by Samuel Bradley / Styling by Patricia Villirillo)

翌週に筆者がそのことに触れると、彼は我々の会話を録音した理由は3つあると言った。1つめは、筆者のケータイが機能していなかった場合に備えてバックアップを取ること。2つめは、過去数年にわたって制作が継続されているThe 1975のドキュメンタリーに使えるかもしれないと考えたこと。3つめは、自身の言葉が捻じ曲げられて伝えられた時の反論用の証拠とすること(「僕は当日の会話を録音した。本当はこう言ったんだ」などとツイートするつもりはないから安心していいと彼は言った)。こういった慎重さからも、彼が自身の発言を正当化しようとすることに辟易していることが窺える。「最近は謝罪しないようにしてるんだ」と彼は話す。「君や僕、あるいは排他的な人(bigot)とかレイシストとか乱暴者とか犯罪者とかじゃない普通の人がどう考えていようとも、僕は自分の発言や行動について謝罪しない。僕はそんな人間じゃないと思ってるから。謝罪しなくて済むように、背景や文脈をちゃんと証明できるようにしてるんだ」

彼の自宅で話した時、マシューは文字情報で溢れかえっている今の世の中では、キャプションやツイート、インタビューやレビュー等のありふれた形式以外でのコミュニケーションを模索すべきだと主張していた。「何かしらの情報やアイデアを文字にすることなく伝えられるスキルを持っているのなら、絶対に活用すべきだ。やってみようとするべきだ。デヴィッド・バーンやベラスケスのインタビューがいくつあれば十分なのか、僕にはわからない……そんな苦笑いしなくても、別に自分をデヴィッド・バーンやベラスケスと比較しようとしてるわけじゃないよ」(筆者は思わず笑ってしまった)

彼がユーザーとして、時にはコンテンツ提供者として関心を持っているのは、Substackのニュースレター、エッジの効いたコメディ『Cumtown』や様々なカルチャーのトピックを取り上げる『Red Scare』等で知られるDimes Squareのポッドキャスト(政治関連のコンテンツには興味がないという)など、話題を集めているニューメディアだ。彼は何かと議論を呼ぶ、ジョー・ローガンがホストを務めるポッドキャスト『The Joe Rogan Experience』への出演を希望している。編集によって意見を捻じ曲げられる心配をせずに、2時間半の枠の中で様々なトピックについて延々と語り続けてみたいという。

Translated by Masaaki Yoshida

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