The 1975密着取材 マシュー・ヒーリーが探し求める「本物の愛」

彼が二度と取材を受けないと宣言した理由は納得がいくものだった。今でこそ当たり前となったジャンル横断型のソングライティングをいち早く実践し、インターネットやソーシャルメディア関連のトピックをテーマにした曲をいくつも残してきたThe 1975は間違いなく、2010年代のシーンとカルチャーにおいて最も同時代性を獲得できていたバンドだった。その10年間と共に20代を終えた時点で、マシューは薬物依存とリハビリ生活、若きロックスターの典型的なライフスタイルの全てを嫌というほど経験していた。30代を迎えた今、彼はどこへ向かうのだろうか。



来年、バンドは結成20周年を迎える。彼らが歩んだ道のりはしっかりとドキュメントされてきた。デニス・ウェルチとティム・ヒーリーというテレビ俳優どうしの第一子として生まれたマシュー・ヒーリーは、チェシャーにある学校のクラスメイトだったドラマーのジョージ・ダニエルと親友同士になった。様々な形態のプロジェクトを経た後に2人が結成したThe 1975は、どのメジャーレーベルともレコード契約を結ぶことができずにいた。度重なる交渉の決裂に、マシューは失望し困惑していた。バンドは結果的に、マネージャーのジェイミー・オボーンが運営するDirty Hitと契約する。ビーバドゥービーやリナ・サワヤマ等のエッジーなアーティストの作品で知られる同レーベルは、今ではZ世代から圧倒的な支持を得ており、Y世代にとってのXL Recordingsのような存在だ。バンドのデビューアルバム『The 1975』(2013年)は、発売と同時に大きな反響を呼ぶ。Tumblrに夢中だった女の子たちや、ゼロ年代のUKインディーに馴染みのなかったアメリカのオーディエンスにとって、米国のエモに影響を受けた彼らのブリティッシュアクセントや、80年代を思わせる艶のある硬質なサウンドとソングライティングは新鮮に響いた。ジェイミーはこう語る。「アーティストとの仕事は、巨大な岩を坂の上まで運ぶかのように感じられることもあれば、勝手に転がって勢いを増していくこともある。バンドのDNAの一部である何かと、フロントマンとしてのマシューの存在感が多くの人々にアピールしたんだと思う。それが世界中に広まっていったんだ」

最後になるはずだったインタビューで、マシューは「The 1975は解散するかもしれない」と語っていた。当時はその可能性があったのだろうが、今ではその選択肢は完全に消失した。「このバンドには常に推測が付きまとってる。彼らは解散するのか、それともしないのか? マシューはドラッグ中毒を克服できるのか? 僕はいつだってそういうのを楽しんできた。ドラマが好きだからね」。ソファーに腰かけたマシューは、満面の笑みを浮かべてそう言った。「今なら断言できる、セクシーにね。The 1975は解散しない。このバンドにはありとあらゆることが起きる可能性があるけど、解散だけは絶対にしない」



アートを作ることが好きな古い友人たちの集まりであるThe 1975が決して解散しないとマシューが断言したのは、自分が何よりもまず作家であることを自覚したからだ。彼が生み出すのはトルストイのような荘厳な一大叙事詩ではなく(「念押ししておくけど、自分をトルストイと比較してるわけじゃないよ」)、その瞬間に彼が感じていることのスナップショットだ。その考え方は、バンドの一員であることに伴うプレッシャーを緩和してくれる。

日本の寺院のような石造りの自宅で、マシューは新章を迎えたThe 1975について語ろうとしている。彼が「章(era)」という言葉を用いたのは自意識過剰だからではなく、ファンがお気に入りのポップスターに対してそうするように、The 1975のフォロワーが変化し続けるバンドのキャリアをその言葉で区切るからだ。その新章では、「Sincerity is Scary(誠実であるのが怖い)」という言葉が単なる曲名でなく、実感として伴うようになった。アートと人生において、自分の脆さが前面に現れるようになった。若者の代弁者というイメージから解放された。オフラインで、自然体でいられるようになった。真剣に誰かを愛し、本物の愛についてのアルバムを作ろうとした。失恋を経て、汚れなき愛はもはや存在しないのかと思いながらも、どこかにあるはずだと信じようとしている。

Translated by Masaaki Yoshida

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