ディアンジェロ『Voodoo』を支えた鬼才エンジニアが語る、アナログの魔法とBBNGへの共感

ディアンジェロを支えたクリエイティブの秘密

―あなたが数々の名盤を録音したエレクトリック・レディ・スタジオも、ヴァレンタインと同様、タイムカプセルのようなスタジオだったと思います。そもそも、ディアンジェロにエレクトリック・レディを勧めたのはあなただったという話を聞いたことがあります。

ラッセル:うん、勧めたのはたしかに私だ。エレクトリック・レディは建物に入った瞬間、みんな同じ体験をするんだ。スタジオAというメインの部屋で、そこはもともとジミ(・ヘンドリックス)が建てた部屋だ。コントロール・ルームは設備が更新されているけれど、ライブ・ルームの音響設備は当時と変わっていない。床は経年劣化で修繕しなければいけなかったけれど、壁や天井のデザインはそのままだ。つまり、主要部分はジミが亡くなる前と変わっていない。

それに、ジミの霊がまだスタジオにいる感じがするんだ。エレクトリック・レディに行った人は全員、ジミの霊が感じられると言うからね。あれは亡霊などではなく、彼の「音楽こそが全て」という信念が根付いているんだと思うよ。彼は亡くなる前に全財産をこのスタジオのためにつぎ込んでいるし、最後の録音もエレクトリック・レディで行なっているからね。ディアンジェロが初めて訪れた時も、ライブ・ルームに足を踏み入れて5秒も経たないうちに「ここでアルバムを録音しよう!」と言いだした。あのスタジオには瞬時に感じられる不思議な雰囲気があるんだ。

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左からラッセル、エディ・クレイマー(ジミ・ヘンドリックス作品で知られるプロデューサー/エンジニア)、ディアンジェロ

―あなたはディアンジェロやエリカ・バドゥ、コモンらの作品で、エレクトリック・レディという特殊なスタジオを拠点に、古いテクノロジーやスタジオを使いながら新しい音楽を生み出したわけですよね。その際に、エンジニアにできるクリエイティブについてどう考えていますか?

ラッセル:エンジニアの中には、自分の仕事がアートとみなされるほど良い仕事をする人たちがいると思う。私の場合は、エリカやロイ・ハーグローヴ、コモン、ディアンジェロなどと、エレクトリック・レディで彼らの作品に関わっていた時代がそうだった。あのときは私自身もアーティストだったんだよ、ビートルズの5人目のメンバーのようにね。私の存在を知っているのはファンだけで、一般的にはあまり知られていない。でも、特に『Voodoo』を手掛けていたときは、自分の傑作を作っているという認識があった。その時、私たちはとんでもないものを作っているという実感があったんだ。それに私なら、まだ他の人がやっていなかった方法で人々を感動させられると思っていたしね。

当時(2000年前後)はジェイ・Zが大人気で、私も好きだったし聴いていた。でも、当時リリースされていたR&Bはシーケンスされたものばかりで、オーガニックなものが一切なくてね。生のドラム演奏をやっている人間は誰もいないのかって思っていた。だから、『Voodoo』の制作に関わることになった時は、自分のコンセプトを実現する機会が来たと思ったよ。つまり、(サンプリング・ソースが録音された)過去に使用されていた機材を、今の時代の音楽に適応しようというアイデアだ。特にヒップホップの影響で、みんながサンプリングによってダーティーな音を生み出していたけど、私ならオーガニックな方法で同じことをやれると思っていた。彼らはズルをしていたんだよ(笑)。だって、自分でオーガニックなサウンドを生み出す代わりに、昔の音を(サンプリングして)使っていたんだからね。

質問の答えに戻ると、私がやっていたのは、テープをひっくり返して逆回転で録音したり、テープの速度を利用することで様々な音色(トーン)を生み出したりしたことだね。例えば、2倍速で録音して、普通の速度でそれを再生すると、とてもディープなトーンが出せる。反対に、遅い速度で録音してそれを再生するとハイピッチな音が出る。ディアンジェロはプリンスに強い影響を受けていたから、一緒に作業している時に、いつも私に質問していたよ。「プリンスはどうやってあの音を出しているんだ? まるで女性の声みたいだ」ってね。それはテープマシーンのピッチを変えて録音していたからなんだ。それを普通の速度で再生してみると、女性の声のように高い音になったり、逆に深いディープな音が聴こえてくる。私たちもその手法はよく使ったよ。ドラムにもその手法を使っている。それをやったのはロイ・ハーグローヴの「I’ll Stay」と言う曲なんだが、ドラムを2倍速で録音して、その音を通常の速度で聴いてみたら、非常にディープな音ができたんだよ。スネアドラムの音が「パン、パン」と言うのではなく、「バーン、バーン」と言う感じに響いていた。

それらの音を耳にして、アーティストたちはみんな感銘を受けていた。憧れのヒーローたちが生み出していた音を再現しながら、「ジミ・ヘンドリックスがやっていた音だよ!」って感激していたよ。でも、それは私たち自身が実験的なことを色々とやっていて、その中で昔のアーティストたちの手法を発見することができたからなんだ。そういう発見や興奮が、スタジオ内でとても良い刺激となっていたのを覚えているよ。



ソウルクエリアンズ(1999年撮影)、右から二人目がラッセル

―『Talk Memory』ではヴィンテージな質感と生々しさを活かしつつ、その一方で現代のサウンドと並んでも違和感のないものに仕上がっています。あなたは『Voodoo』の時代から、ずっとそういう仕事を続けているわけですよね。ヴィンテージでありながら、同時に新しさも感じられるサウンドメイクの秘訣とはなんでしょう?

ラッセル:私は若い頃から、多様な音楽を聴きながら影響を受けてきた。小学校5年生の頃からレコードを集め始めて、10代の頃はアルバムを聴くことにほとんどの時間を費やしていた。アルバムをかけ、ソファに座りながらジャケットを見つめ、レコードが終わるまで待って、ひっくり返して最後までかける。そうすることで、自分の中にサウンドの青写真となる巨大なパレットが出来上がっていった。そこにジャンルに対するバイアスはない。色々な音楽を聴いて、その中から自分の好きなものだけを選び、さらに深く聴き込んできた。そういうオープンな姿勢は、現在の仕事にも役立っていると思う。

聴いてきた時代も様々で、初期のジャズから典型的なビバップ、そしてフュージョンへ。クラシック・ロックにもハマっていて、ジミやピンク・フロイド、ビートルズも聴いていた。ヒップホップが誕生したのも私がティーンの頃だ。1980年当時、私は13歳だった。私はヒップホップと、同じ頃に誕生したパンクの二つに強い影響を受けて育ってきた。そういう背景のおかげで、音楽に対する聴き方がとても多彩になったと思う。今までに膨大な量のカタログを聴いてきたおかげで、サウンドを生み出すための材料を揃えることができたんだと思う。音楽をたくさん聴き込み、経験を積んだ人であれば、一つのサウンドを20通りにも変換することができるからね。

Translated by Emi Aoki

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