ヘヴィメタル/ハードロック伝説 KISS、ガンズ、メタリカ等の知られざる素顔を増田勇一が語る

増田氏が所有するバックステージパスの一部

ヘヴィメタル・ハードロックのアーティストたちに逸話は事欠かない。そんな彼らの素顔を知るのが音楽ジャーナリストの増田勇一氏だ。氏は、ヘヴィメタル専門誌『BURRN!』の創刊メンバーで、その後洋楽ロック誌『MUSIC LIFE』編集長を務め、1998年からフリーランスになり、シーンの最前線で多くの大物ミュージシャンと交流を重ねてきた。今回、取材歴40年に及ぶ増田氏に彼らとのエピソードの数々を語ってもらった。ある人にとっては懐かしく、またある人にとっては新鮮な逸話がたっぷり詰まっているので、ぜひ楽しんでもらいたい。

※この記事は2020年12月25日発売「Rolling Stone Japan vol.13」に掲載されたものです。

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KISS「相手のレベルを見抜くジーン・シモンズ」

KISSは1977年、78年と来日していて、そのあともすぐに来るはずでしたが、中止になったりいろいろあって、結局、88年まで三度目の来日は叶いませんでした。彼らがメイクを落として素顔になったのが83年で、『BURRN!』創刊の前年。当時の彼らは、アルバムを出せば本国アメリカでビルボードのトップ20界隈には必ず入るし、アリーナツアーもできるぐらいの人気がありました。でも、日本での認識は「やや下降線にあるバンド」というもので、ギャラの折り合いがつかず、おまけに器材運搬にべらぼうに費用が掛かるので、なかなか話がまとまらなかったわけです。そこで、日本の発売元レコード会社とも歩調を合わせながら「次のアルバムのツアーの際こそは」という空気を作っていき、88年の『クレイジー・ナイト』ツアーで状況が整い、10年ぶりの日本上陸となったんです。

話は、その『クレイジー・ナイト』の前作『アサイラム』が85年に出たあとのこと。日本には、レコード会社公認のファンクラブがありまして、そこが「日本に来てくれないなら自分たちで行こう!」ということで、旅行代理店に話を持ち掛け、アメリカまでライブを観に行く団体旅行を企画したんです。その企画に僕も乗っかって一緒に渡米し、そこで初めて彼らと対面取材をすることになりました。86年2月のことです。インタビューでは当時新加入だったギタリストのブルース・キューリック、そしてジーン・シモンズ御大に、それぞれ別々に話を聞きました。サンディエゴにあるスポーツアリーナの楽屋でした。

当時、ジーン・シモンズは主演ではないんですけどけっこう映画に出演していて、バンドのハンドリングはわりとポール・スタンレーに任せてしまっていました。ジーンはライブ会場にも映画の撮影先から来たり、とにかく入りが遅かった。どれぐらい遅いかと言うと、この日、ブルースのインタビューが終わって、ほかのメンバーがライブ衣装に着替えてるのにまだ来ないというぐらい。結局、彼は前座のW.A.S.P.のライブ中にようやく現れたんですが、そのときの風貌がオールバックに黒いサングラスという怖さ。散々待たされてようやくインタビューに移ったんですが、場所はスポーツアリーナにありがちな狭いロッカールームの片隅。机もない部屋でパイプ椅子に腰掛けて話を聞きました。時間は10分ぐらいでしたが、ツアーの反響や日本に来られない理由などいろいろ話が聞けて、ジーンも丁寧に答えてくれました。

シーン・シモンズは話が上手です。しかも、彼が外国人向けに話す英語はすごく聞き取りやすくて、スピーチのような話し方をするんです。しかも、我々の英語力を見抜いて、それに合わせて喋ってくれるという。そこにたとえ話まで盛り込んでくるので、セールスマンでもやったらいいのにと思うぐらいでした。そうなると、こっちとしては「どうやってジーンをギャフンと言わせるか」ということがインタビューの裏テーマになってくるわけです。つまり、ジーンを困らせてやりたい。

初めてそれができたのは、『クレイジー・ナイト』ツアーのちょっとあとのこと。自身が発足させたシモンズ・レコードのプロモーションで来日した際に、僕は聞きました。「今回、あなたはシモンズ・レコードのプロモーションでいらっしゃいましたが、レーベル第1弾となるバンドのアルバムと、先月出たKISSのベストアルバム、LPを1枚しか買えない子供にどちらを勧めたいですか?」と。すると、これまでにないぐらい長い逡巡のあと、ちょっと困った顔をして、「我々のベストアルバムは去年も出ているので、次回に回してもらっても構わない」とようやく答えたんです。内心、「よしっ!」と思いましたね。もちろん、彼と対等になれたわけではないですけど、それまではただのガキだと思われていたはずなので、少なくとも自分の存在がようやく相手の視界に入ったかな、と。

KISS界隈の面白い話はいろいろありますが、96年にオリジナルメンバーでリユニオンをして、再びメイクをしてツアーをしたときのことも印象に残っています。僕はツアー序盤のタイミングでシカゴまで行き、彼らが泊まっているホテルのレストランで朝食をとりながらインタビューをするという運びになりました。

取材当日の朝10時、僕がレストランで待っているとメイクをしていない素顔のメンバーが順々にやってきたんですが、エース・フレーリーは熱を出してしまったため欠席。食事をしながら、ということだったので、先に店内に到着していた僕は注文を済ませていたものの、彼らはあの衣装を着用しての過酷なツアーのためにダイエットをしたり、体力づくりに取り組んでいて、一日の運動量とカロリー摂取量まで決められていたらしく、メンバーはみんな水しか飲まないんです。ジーンが水しか飲まないのに、僕が1人で食事するわけにはいかないですよね。

しかも、当時の彼らは飲酒も一切禁じられていて、アルコールNGということが契約書にまで書かれていたんです。エース・フレーリーとピーター・クリスには飲酒癖の問題もあり、それが過去にはトラブルを引き起こしてきた。それでジーンとポールの側はそれを条項に加えたわけです。

結局、その日のインタビューは和やかに終わって、別の日に僕はオーストラリアからKISSを追いかけてきたバンドとも顔馴染みのカップルと一緒に、メンバーが泊まっているホテルのラウンジで飲んでいました。ちょうどそこに現れたのがピーター。彼はなんと、こっそりお酒を買いに来たんです。ルームサービスで頼むと記録が残ってしまうので、わざわざバーまで来るという計画的犯行。カウンターで「ビール2本!」と頼んだあとに僕たちの存在に気づいて、「お願いだからこのことは黙ってて……!」と祈るようなポーズを。ちょっとかわいそうかな、と思いましたね。




1988年当時のKISS。ポール・スタンレー(左)とジーン・シモンズ(右)(Photo by Rob Verhorst/Redferns)

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