マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン再始動、シューゲイザーの伝説を今こそ紐解く

マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン(Photo by Paul Rider)


『Isn’t Anything』と止まらない進化

当時「セックスこそはナンバー・ワンのドラッグ」と言ってはばからなかったのはデビーだが、ケヴィンもまた、「soft as snow (but warm inside)」や、件の「feed me with your kiss」などあからさまな曲名からも分かるように、恋人だったビリンダとのセクシャルな関係に拘泥し、そこから多くの作品を生み出していった。

同じ1988年にリリースされた、彼らの記念すべき1stアルバム『Isn’t Anything』には、そんなバンドの状態がまるでドキュメンタリーのように刻まれている。「No More Sorry」の歌詞は、当時ビリンダを悩ませていた最初の夫について書かれた楽曲だ。

「ビリンダの長男トビーの父親である元パートナーは頭がイカレていて、彼の悪行は『loveless』の頃まで続いていた。そいつは息子を付け回したり、彼女を脅したりしてたんだ。『お前を殺してやる』とか『息子を誘拐してやる』とか、彼女を脅迫までしていた。その一方で、僕らの間には美しい恋愛関係も育ってた。 僕らがつきあい始めてから、新たなサウンドが生まれたわけで、セックスはその大きな要因となっていたんだ。それは刺激的で、段々と経験を重ねつつあって……なにしろ僕らは当時25歳とかそのくらいで、 若かったからね」
※『マイ・ブラッディ・ヴァレンタインこそはすべて』ケヴィン・シールズ


『Isn’t Anything』ジャケット写真

一方、睡眠障害に悩まされていたケヴィンは、マリファナやエクスタシーを常用しながらほとんど催眠状態のまま、連日深夜におよぶ作業を繰り返していた。レコーディング・スタジオでは幽霊や 、牛のエイリアンなどの幻覚まで見ていたほど。劣悪な環境に700ポンドの低予算、そのうえレコーディング期間がたったの2カ月という制約の中で、平均睡眠時間2時間で何とか完成させたのが、あの『Isn’t anything』だったのだ。

バンドにとって1988年は実りの多い年だった。しかしアルバムのツアーが終わるとそこから1年半、1990年4月に3rd EP『Glider』がリリースされるまでの彼らは昼夜問わずスタジオにこもり、いつ終わるとも知れない実験を繰り返すようになっていく。後になって振り返れば、それはケヴィンが描く理想のサウンドスケープを具現化するために、必要なタームだったといえる。なぜならそうして産み落とされた『Glider』は、我々の想像を遥かに超える、とてつもない内容だったからだ。

リード・トラックの「Soon」は、当時のセカンド・サマー・オブ・ラヴ~マッドチェスター・ムーヴメントと共振するダンスビート、『Isn’t Anything』以上に酩酊感を極めたギター・サウンド、そして、ビリンダとケヴィンの溶け合うようなボーカル全てが等価でミックスされており、ブライアン・イーノをして「ポップの新しいスタンダード。かつてヒット・チャート入りした曲の中で、これ以上に曖昧で不明瞭なものを僕は知らない」とまで言わしめた。



また表題曲「Glider」は、タイトル通り巨大な乱気流の中を、グライダーで飛行している気分を味わえるインストゥルメンタル・ナンバー。レコーディング中、スタジオにいたスタッフたちは、フィードバックや逆回転を施したギターをひたすら重ねていくケヴィンの行動を、ほとんど理解できなかったという。

「これもやっぱりヒップホップの影響だと思うんだけど、特にデ・ラ・ソウルのハッピーな感じ。あの典型的な(といって口ずさむ)、軽く弾んだベースラインがあるだろ? ああいうフィーリングやコードの感じが、そもそもの発想としてあったはずだよ。サウンドに関してはサンプラーを駆使した。実はこの時、ギターのフィードバックノイズをサンプリングして重ねる手法を初めて試みたんだ。キーパッドが搭載されたサンプラーだったので、それを叩きながらフィードバックノイズを繰り返し重ねていった。しかも、シーケンサーもコンピュータも一切使わず、ひたすらテープに取り込んでいったんだ」
※2021年 公式インタビュー ケヴィン・シールズ

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