蓮沼執太が振り返る「自分の場所を作ってきた」15年の歩み、フィルで音楽を奏でることの意味

蓮沼執太、フィルのリハーサル時(Photo by Takehiro Goto)


フィルの結成:現場で作り上げていく歪なアンサンブル

―フィルの結成は2010年のオヴァル来日公演のときに、佐々木さんからチームとは別の編成での出演を依頼されたのがきっかけだったそうですね。蓮沼フィルはいわゆるフィルハーモニーオーケストラとは編成もアレンジも全く別物ではあるわけですが、そのタイミングで管弦のアレンジの知識や経験はどの程度あったのですか?

蓮沼:今と比べたら「何もできてない」くらいですよ(笑)。チーム編成でのライブアレンジがすでに独特なので、その延長でアレンジをやった感じでした。でも2回目の公演のときにはある程度形になってたんですよね。

―1回目は失敗だったけど、翌年頭に原宿のVACANT(現在は営業終了)で行われた「ニューイヤーコンサート」では上手く行ったと。

蓮沼:そうですね。今はVACANTでの公演はすごくよかったです。でも初演から半年も経ってないんですよね。まあ、ヘッドアレンジで構成した部分も多くあったので、管弦から「ここのアレンジはこうしたらもっと良くなるのでは」って提案があったら、その話を聞いて、コミュニケーションを取りながら作っていく。実はそれもチームでやってきたことと同じで、メンバーから音楽の作り方を勉強させてもらった部分もありますね。


蓮沼執太フィルの演奏、2011年に原宿VACANTで開催された「ニューイヤーコンサート2011」にて

―蓮沼さんはもともと音大で理論を勉強したタイプでもないですもんね。

蓮沼:はい、音大なんて行きたくないと思っていたんで(笑)。

―それはなぜ?

蓮沼:小学、中学とか高校とかの節目節目で、「これから進路どうするんだ?」というときに、もちろん選択肢にはあったんですけど、さっきのディスクガイドの話と同じで、人から教わるのよりも、自分で発見したいタイプだったんですよね。今となっては、先生のもとで修業をする大切さも理解しています。ただ、当時は過去を学ぶというよりも、今起こってることをどうやってダイレクトに吸収するか、ということを第一に生きてたんです。今はセオリーや技術を勉強することで生まれる面白い音楽が世界にはたくさんあることも知っていますが、当時はそういうことへの反発があったんだと思います。


Photo by Takehiro Goto

―2010年前後で言うと、アメリカではチェンバーポップの盛り上がりがあって、オーウェン・パレットがファイナル・ファンタジーから改名したり、ニコ・ミューリーがアントニー&ザ・ジョンソンズやグリズリー・ベアの作品に関わったのが話題になったりしましたが、そういったアーティストや作品との接点は感じていましたか?

蓮沼:もちろん聴いてました。でも、根本が異なっていますし、いわゆるポストクラシカルのムーブメントの中でも好きな作家はいましたが、接点という部分だと少ないですね。彼らの音楽は弦の要素が強く出ていて、僕は管弦で構成するというよりは、いろんな楽器が集まり、プレイヤーの出自が異なっている、歪なアンサンブルをどう生かすかのほうに重きを置いています。



―向こうの流れはアカデミックな勉強をした人がポップスに関わるようになる流れだったから、やっぱり別物ですよね。蓮沼執太フィルは実際に現場で鳴らしながらメンバーとともに構築していったわけで。

蓮沼:そうですね。基本的に僕一人じゃなくて、ミュージシャンと一緒に現場で作り上げていく気持ちがありました。当時はパフォーミングアーツに関心があったので、現場で起こる集団の強みに期待をしていたんです。なので「アルバムを作るからみんな集まれ」ではなくて、「いついつにライブがあるから、それに向かってクリエイションしたい」みたいな感じで集まって、「今回は新曲2曲です」みたいな感じで活動していき、それで最初にまとまった形になったのが『時が奏でる』というアルバムだったんです。

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