蓮沼執太が振り返る「自分の場所を作ってきた」15年の歩み、フィルで音楽を奏でることの意味

蓮沼執太、フィルのリハーサル時(Photo by Takehiro Goto)


蓮沼チーム時代:HEADZ、ネスト、mabanua

―初期の集大成的な作品だった『POP OOGA』のリリース後、そのリリースパーティーのために「チーム」が結成されるわけですが、まず『POP OOGA』をHEADZからリリースすることになったのはどういった経緯だったのでしょうか?

蓮沼:(レーベル主宰の)佐々木敦さんが事務所で私塾みたいなのをやってて、そこに顔を出したら前の作品のことを知っててくれて、「持ってるものを全部出せるようなアルバムを作ってくれ」と声をかけてくれて、僕は「はい! 作ります!」みたいな(笑)、それで1年近くかけて作ったアルバムです。



―アーティストとしての作品性を確立するにあたって、当時のHEADZがリリースしていた電子音響やポストロックからの影響は大きかったと言えますか?

蓮沼:(佐々木敦が創刊した)「FADER」に載ってるような、当時のアメリカやヨーロッパの音楽は聴き漁ってたので、当然バックボーンには入ってると思うんですけど、当時HEADZからリリースしてた日本人アーティストから直接影響を受けてたかというと、そうではないですね。ただ、当時はHEADZ周りにミュージシャンがたくさん集まっていたんですよね。シカゴ系の洋楽をリリースされていて、そのあとにサンガツや□□□、木下美紗都さんなどの日本人ミュージシャンをリリースするようになって、僕はその後くらいにHEADZにおじゃましました。だから、先輩が多かったこともあって、その頃は面白かったですね。ネスト(現・TSUTAYA O-nest)でイベントをやると、ライブ後に輩がたくさんと残ってて(笑)、それまでバンドを組んだことがなかった僕みたいな人間にとって、音楽の現場を知れたのはその時期でしたね。

―ネストのバースペースは大きいですよね。おそらくは、そういう中でその後にチーム~フィルでも活動をともにするdetune.の石塚周太さんとかとも出会ってるんでしょうし。電子音響的な作品をチーム=バンド編成に落とし込んでいく上では、シカゴ周りのミュージシャンを参照したりはしましたか?

蓮沼:具体的に何かの方法論を真似したということはないですね。当時の電子音というか、コンピューターだけで作った音を生楽器に変換していく作業自体はとてもアナログです。わかりやすく言うと、質感とかテクスチャーだったものを旋律に変換していく作業でした。シンセサイザーの音作りも基本的に同じようなプロセスだったので、極めて自然にやってました。思い描く理想とか到達点があったわけじゃなくて、「何とかしてこれをフィジカル化しよう」という、その一点しか考えてなかったです。ただ、その作業はやっぱり大変なことで、一緒にやってくれたチームのメンバー、後のフィルメンバーでもありますけど、彼らにはすごく感謝してます。一緒に彼らと音楽を作ってきた気持ちですね。

―バンドではなく「チーム」を名乗るという感覚が、シカゴ周辺の音楽家たち、たとえばトータス周りのコレクティブにも近いような印象を受けます。

蓮沼:確かに、そうですね。実際チームではトータスのカバーもやってましたし。チームやフィルのメンバーとは運命共同体ではないんですよね。もちろん仲良しですけど、バンドというよりは、もう少し関係性をモダンに扱ってるような感じがあって、そういった意味での距離感、メンバー同士の距離感もそうですし、音楽シーンとの距離感みたいな意味でも、影響は受けてたのかもしれない。


蓮沼執太チームによるトータス「seneca」のカバー(蓮沼の2012年作『CC OO』収録)

―ハードコアの出身もいればジャズの出身もいるシカゴ周辺の混ざり方と、チームの混ざり方、もっといえばさっきのネストの混ざり方も近いのかもなって。

蓮沼:当時のネストは僕より年上のSAKEROCKとかトクマル(シューゴ)さん、二階堂和美さんもよくライブしていましたよね。

―ちなみに、『POP OOGA』のリリースパーティーはドラムがmabanuaさんだったとか。

蓮沼:そうですね。彼とはもともと共通の知り合いがいたんです。当時ドラマーを探してて、ブラックミュージックのグルーヴが必要だと思ったときに、「どんな音楽が好きなの?」って聞いたら、J・ディラ、ディアンジェロと答えてくれて。彼の音源もとても良かったので、一緒に演奏してください、とオファーしました。

―サンプリングを生演奏する手法と、自分の音楽とのリンクを感じたわけですか?

蓮沼:そこはもっとナチュラルに考えてたんですけど、『POP OOGA』に入ってるビートがある曲「2 Become 1」なんかは、もともとJ・ディラやマッドリブを意識したプロダクションで、当時「スネアがちょっと遅い」とか、そういう話が分かる人って今よりも少なかったので、そこが共通項でもありました。まあ、今のフィルもそうですけど、当時から各音楽ジャンルの集結みたいなアイデアはあったんでしょうね。

―僕が蓮沼さんの名前をちゃんと認識したのが『POP OOGA』だったので、今改めて当時のお話を聞くと非常に面白いです。

蓮沼:最初のアルバムリリースから『POP OOGA』を作り始めるまで2年間は、ずっと部屋で音楽の研究をしていました。その間に機材の技術などを習得して、それで『POP OOGA』が作れたんです。ずっと自分に向かって籠もって作業をしていたところから、急に外に、フィジカルにやりたいっていうのは、まさしくその時期のクリエーションのその反動だったので、そこはひとつポイントだったなと自分でも思いますね。

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