パット・メセニーの新境地は「弾かない」 伝説的ギタリストが挑む音楽家としての究極

本人が弾いてないのに、どこまでもメセニーの音楽

前述の通り、「Four Paths of Light」はギタリストのジェイソン・ヴィーオがひとりで演奏している。クラシックのギタリストなので、そもそも奏法がジャズとは異なるのが聴きどころだろう。ギターといえば、左手でフレット上の弦を抑えて、右手で弦を弾くイメージがあるかもしれないが、ここでのジェイソンは左手でもリズムや旋律を奏でている。両手が別々に動いていて、ほぼピアニストのようにたった一本ギターでバンドもしくは多重録音のようなサウンドを奏でてしまう驚異的なテクニックを、さらっとエレガントにニュアンスもたっぷりで奏でている。



「Road To The Sun」を演奏するのはロサンゼルス・ギター・カルテットで、4本のギターを組みわせて、メロディもリズムもハーモニーもすべてギターに置き換え、ギターサウンドによるパズルによってバンドサウンドを組み立てている。このグループはエフェクトやエレクトリックなサウンドみたいな質感をアコギで奏でようとする創造性を特徴にしているだけあって、音色やテクスチャーの豊かさも聴きどころになっている。



もうひとつの違和感の正体は、ジェイソン・ヴィーオとロサンゼルス・ギター・カルテットのどちらが演奏した楽曲からも、メセニーっぽさが満載であることだった。そもそも楽曲が実にメセニー的で、クラシックギター用に書かれた楽曲ではあるものの、クラシック音楽的ではまったくないあたりの常識にとらわれないやり口は実に彼らしい。その楽曲のいたるところに過去のメセニーの名曲の中で聴いたことのあるフレーズや展開が聴こえてきて、もはやセルフ・オマージュというかセルフ・パロディとさえいえるような手癖にも近い要素が至る所に聴こえてくる(時に『Zero Tolerance For Silence』や『The Sign of 4』でも意識してるのかな、と思うような箇所まである)。

そして驚きなのが、彼らが弾くギターの演奏からも、メセニーっぽさが感じられてしまうことだ。ジェイソン・ヴィーオに関しては、2005年にメセニーのオマージュ・アルバム『Images of Metheny』を発表しているだけあり、メセニーの音楽を完璧に把握しているのが随所に窺える。クラシック文脈のギターのテクニックはメセニー以上だが、その両手のコンビネーションを聴いているとメセニーが2人で演奏していて、メセニーがメセニーの伴奏をしているように思える瞬間さえある。



また、ロサンゼルス・ギター・カルテットも2004年の『LAGQ’s Guitar Heroes』で「Letter From Home」をカバーしているように、同じくメセニーの音楽を把握しているギタリスト集団だ。それだけにメセニーの演奏を分解して、複数人に振り分け、的確に演奏していると感じられる瞬間も多い。どこをどう聴いてもメセニーの音楽として聴こえるのは、楽曲に宿るメセニー要素と、演奏者の理解度の高さとのコンビネーションが理由でもあるのだろう。

ちなみに、もっともメセニー的なギターと遠いのは、メセニー自身が演奏しているアルヴォ・ペルト作曲の「Fur Alina」で、そもそも42弦ギターを弾いていることもあり、ここにはメセニー的な要素がほとんど感じられない。むしろペルトの楽曲が表現したいものの本質を、忠実に奏でようとするメセニーの姿が前面に出ているようにも映る。

これまでメセニーは、どんな楽曲でさえ自分の色に染め上げ、自身の楽曲には自身のギターが必須だと感じさせてきた。逆に言えば、メセニーのギターさえあればどんな楽曲もメセニーのサウンドになるし、メセニーが弾かなければメセニーの曲は完成しなかった。それだけでもメセニーが信じられない次元にいることがわかるわけだが、『Road To the Sun』ではまた別の次元に辿り着いてしまったように思える。

それは自分以外のギタリストが演奏していても、自身のギターを感じさせることができる作曲家、という領域だ。譜面に書き込んだ情報で自身のギターさえも立ち上らせてしまうアルバムをメセニーは作ったのかもしれない、ともいえるだろうか。ギターソロを弾かなくても、しかも、彼のトレードマークでもあるエレキギター(やギターシンセ)を弾かなくても、その譜面に書き込んだ曲の構造や記号で示した演奏のダイナミズムやニュアンスだけで聴き手に自身のギターを感じさせてしまう。そんな作曲をしているように僕は感じた。もちろんメセニーの音楽のディテールを理解しているギタリストが起用されているから、というのもその理由ではあるのだが、たとえそんな演奏者を集められたとしても、ジャズ・ミュージシャン自身が演奏に参加することなく、ここまで自分自身の演奏のニュアンスを的確に醸し出させることに成功した例は他にないだろう。これらの楽曲さえあれば、50年後でも100年後でもパット・メセニーの演奏は現出する、ということになる。

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