岡林信康とともにフォークの神様と呼ばれた当時を振り返る

岡林信康


田家:続いて、当時のことも伺っております。次にお聴きいただく曲は、そのアルバムから「申し訳ないが気分がいい」。

(インタビュー)

田家:なかなかあの時代を知らない人に説明しにくいところがあるんですけど、1960年代の終わりと1970年代の鬱屈とした挫折感のようなものの捌け口に岡林さんがなった場面はありましたもんね。

岡林:そういう重圧感も感じたから、あそこで一旦やめて田舎に引っ込むしかなかった。あのまま続けてたら死んでたと思うよ。

田家:引っ込むって決めた時は、何か清々しいものがあったりしましたか? それとも悲壮感みたいな。

岡林:それはそうやね。清々したというか、全部背負っているものを捨てる、これでもう2度と歌えなくなってもいいし、人気がなくなってもいいしって。ある種の清々しい気持ち。次に俺がやることを見つけられたという喜び。田舎に行って田植え稲刈りの生活をとりあえずやってみるんだ、それで何が見えてくるのかというのも楽しみだし。だから、変な悲壮感みたいなものはなかったな。次に行けるんだっていう気持ち。

田家:京都の綾部という場所はどうやって見つけたんですか?

岡林:色々な役場に行って、離散した人で田んぼや畑を売ってくれる人いませんかって訊いてまわったのよ。和歌山も行ったし、岐阜も行ったし。中津川にも住んだんだけど、結局そこは畑田んぼを譲ってくれる人がいなかったのよ。それでもっと辺鄙なところに行ったらあるんじゃねえかってことで綾部の市役所に行ったら、たまたま俺の村に田んぼも畑も売りたがってる人いるよっておっさんがいたのよ。住んでみたら、冬は雪が積もって身動きできないし、エライところに来たなあって思って(笑)。


Rolling Stone Japan 編集部

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