岡林信康とともにフォークの神様と呼ばれた当時を振り返る

岡林信康


田家:岡林さんは実家が教会で、大学は同志社大学の神学科。高石友也さんと出会って、自分で歌を歌うようになりました。その頃の話も訊いております。お聴きいただく曲は、はっぴいえんどがバックバンドを務めたアルバム『見るまえに跳べ』から「今日をこえて」です。

(インタビュー)

田家:そもそもの音楽との出会いが高石友也さんがきっかけなわけでしょう。当時の出来事をどう振り返っていますか?

岡林:何か一つが違ってたら全く違った人生があったんやろうなあ、という感じやな。綱渡りみたいな。よく五体満足でここまで来たなと(笑)。たまたま牧師の息子で、後を継ぐために大学も行ったんだけどどうもわからなくなって。ある神学校の先生に会うために東京に行ったんだけど、その人がアメリカに行っていていなかったのよ。それで姉のアパートに転がり込んでたら、姉が通ってるキリスト教会に山谷の牧師さんが来て、大変面白い話をしたと言っていて。で、その牧師さんに会いに山谷に行ったわけね。牧師さんは「ああだこうだ言ってないで、お前も働け。そうしたら何か分かるかもわからん」と。そこから山谷との関わりができたんだけどね。高石ともやは立教大学の学生で、大阪の釜ヶ崎という山谷と似たような場所にいたという話を聞いて。……おかしいよな。俺は同志社大学で山谷で、彼は立教大学で釜ヶ崎で。それで彼の歌を聞かなくちゃいけないような気がして聞いたのよ。自分で歌を作って気持ちをぶつけるというのは、気持ちええだろうなと始めたのね。

田家:気持ちいいだろうな、というのが先だったんですね。

岡林:もし東京の神学校の先生がアメリカに行っていなくて会えていたら、どうなっていんだろうなと。

田家:山谷にも行かなかったでしょうし、高石友也さんにも……。

岡林:高石にも興味持たなかっただろうしね。そういう色々考えると、ちょっと怖くなるな。綱渡りしてきたようなね。

田家:その時はフォークソングをやろうとは思わなかったという。

岡林:全然なくて。俺と似たような変な経歴で歌を作ってる人がいるって言うから、面白いなと思って。それで俺もやろうと思ったのは、すごいよなあ(笑)。



(スタジオ)

田家:URCからの2枚目のアルバム『見るまえに跳べ』から「今日をこえて」。『わたしを断罪せよ』にも収録されているんですが、こちらの方はバックバンドをはっぴいえんどが務めております。URCというのはアンダーグラウンド・レコード・クラブの略称で、自主制作のレーベルでインディーズの走りです。そのきっかけになったのは、岡林さんの「がいこつの唄」、「くそくらえ節」というシングル盤がビクターから出せなかったことなんですね。フォーククルセダーズの『イムジン河』も発売中止になって、自分たちのレーベルを作って、商業主義では紹介できない歌を世の中に送り出すんだ、ということで、高石音楽事務所が中心になって始めたレーベルです。きっかけが岡林さんとフォークルだったわけで、まさに1970年代のフォーク・ロックの歴史の第一歩そのものとなった人です。

Rolling Stone Japan 編集部

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