メンタルヘルス問題から考える、産業から解き放たれた音楽の役割

若林が昨年ロンドンで撮影した、アートとメンタルヘルスにまつわるチャリティ団体「The Perspective Project」のフライヤー。


消費から社会インフラへ

このように、メンタルヘルスが今後ますます国民的な課題になっていくとして、それがこれまでのような一元的な「配給モデル」の処方ではいかんともしがたい問題であることを考慮すると、そうした社会を癒し、ケアしていくためのひとつの契機、重要な社会インフラとして、「文化」というものに改めてスポットがあたることにもなります。文化というものを単に消費経済を回すための契機とするのではなく、メンタルヘルスといった論点も含めた、より広い視点から文化というものを社会のなかに再実装しようと、そういう話が出てくることとなります。



イギリスのアーツ・カウンシルが2014年に出した『The value of arts and culture to people and society』は、まさにアートとカルチャーの価値を再定義しようというレポートです。レポートはまず、それらの価値を、「経済効果」という観点から取り上げています。コロナによって大打撃を受けてしまっていますが、「観光立国」を掲げている日本においても、ここは重要な論点です。ちなみにイギリスで言うと、インバウンド観光客のもたらす経済のうち42%が、ミュージカルや美術館など、アート/カルチャーの分野に落ちているといいます。

こうした消費経済における効果とは別に、カルチャーは、世界中から優秀な働き手を惹きつける上で非常に重要なアセットだと考えられています。これからの都市は新しいアイデアを絶えず出し続けなければならないイノベーション・ドリブンな経済になっていくというのが本当であれば、都市や国の将来を考えるうえで優秀な人材の確保は、都市が国際間競争をサバイバルする上で重要な生命線となります。イノベイティブな人材を集めたいのなら、まずはイノベーションというもの、新しいもの、クリエイティビティに対する寛容な環境が必要ですが、それを測る尺度があるとするなら文化の多様性や寛容性は、ひとつの重要な尺度となるはずです。その意味では、今後は都市における文化の成熟度や多様性は、経済と完全に直結するアセットとして考えられていきます。

続いて、これからの社会における文化の役割として、「健康」や「ウェルビーイング」が論点として挙げられています。社会全体がメンタルを病んでしまうような状況のなかにあって、音楽や文化活動がポジティブな効果を果たしているというリサーチ結果が、ここでは紹介されています。「過去12カ月間に文化的な場所やイベントに参加したことがある人は、そうでない人に比べて、健康状態が良い可能性が高い」と報告されています。日本を見れば端的にわかりますが、国民の高齢化がもたらす国家財政への圧迫は相当シビアなことになっていきますので、メンタルヘルス同様、できるだけ多くの国民を身体的にも健康な状態に保つことは、非常に大きな課題となっていきます。そうしたなか「未病」という観点を入れたかたちで医療政策も組み直されていくことになりますが、その流れのなかで、自転車や歩行者優先の都市再編やスポーツ振興、文化振興といった施策も考慮されていくことになります。

これは同時に、先ほどもチラと触れた社会の安全を保つこと、あるいはセキュリティの問題とも通じ合っています。コロナウイルスがそれを明らかにしましたが、これからの都市は、周囲に壁を作って異物を遮断するというやり方でリスク管理をすることが非常に困難です。人も物もお金も情報も、グローバルにネットワーク化されてしまっているため、壁の中に閉じこもるような「ロックダウン」は対症的な療法としてはもちろん有用ですが、それをデフォルトの環境として、長い期間持続することは困難です。

先ほどお話したように優秀なワーカーが集う環境を求めるのであれば、当然、都市や国家はできるだけオープンな状態にしておくことが望ましいわけですが、そうした環境であればあるほど脆弱性が高まるというトレードオフが起こります。一番極端な例では、例えばテロリストが流入してくるようなことが起きかねないわけです。ところが、いま厄介なのは、いくらそうした人たちを水際で防いでも意味がないところで、というのも、テロ組織や原理主義グループなどが最も熱心にリクルーティングを行っているのはソーシャルメディアプラットフォームだと言われていまして、ここでの問題は昨日まで気のいい隣人だった人物が、ふと気づくと危険思想に染まっているということが頻々に起きるということだったりします。自主隔離中にYouTubeばかり観ていたせいで、知り合いが知らぬ間にだいぶ右傾化/左傾化していたといったことは日本でも起きていることのように思います。その延長線として、昨日まで普通に生活していた人が突然テロリストになる。あるいはテロまで行かずとも、つい数週間前まで普通に生活していた人が突然事件を起こすというようなことも増えていくことが想定されます。

こうした事態は、ソーシャルメディアプラットフォームの規制といった手立てだけでは解決しない、非常に複雑な問題でして、一元的なソリューションが存在しえないという意味で、メンタルヘルスにもつながる困難な課題です。そうしたなか、いったいどうやって社会の安全を担保しうるのかといえば、これはもう、ありきたりな話でしかないのですが「コミュニティの再興」にフォーカスを当てていくしかない、ということになったりします。近所づきあいや、趣味のつながりといったものを、どうやって生活の中にできるだけ多く組み込んでいくか、ということを市民ひとりひとりのレベル、民間セクターであれば企業組織というレベル、行政であれば政策レベルにおいて考えていくことが重要になります。「市民のエンゲージメント」といった言葉が最近よく聞かれるようになっていると思いますが、マルチステークホルダーによる参加型の社会づくりといったキーワードは、単に「みんなで参加するっていいよね」といった価値観の話ではなく、むしろこれからの社会を運営していく上で必然的な要請として出てきているものであって、そっちに移行しないと社会が作動しなくなるという危機感が、これまでの価値観の更新を促していると考えるべきなのではないかと思います。

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