90年代のニューヨークの夜はヤバかった 伝説的クラブの元経営者が追想

ピーター・ガティエン。1987年撮影(Photo by Brendan Beirne/Shutterstock)



ジュリアーニ氏の徹底的な攻撃

ジュリアーニ氏の伝記を執筆し、1994年の「生活の質」演説の草稿作成も手伝っているフレッド・シーゲル氏は「当時の街は行政の手に負えない、という感じでした」と語る。「ライムライトやパラディウムは何でも好き勝手できる無法地帯だと思われていました……近隣住民は、こうしたクラブに出て行って欲しかったんです」

ニューヨーク南地区連邦検事局時代から、度を超すことで有名だったジュリアーニ氏が、ガティエンへの攻撃材料を見つけるのに、そう手間はかからなかった。

ガティエンがいた世界は評判の悪い人物だらけだった。そのうちの1人がマイケル・アリグだ。1996年、アリグはヘロイン、コカイン、ロヒプノール、ケタミンをいっぺんに摂取し、クラブ・キッズ仲間のエンジェル・メレンデスを殺害した。相当量のパイプ洗浄クリーナーが使われ、バラバラ死体は数カ月後にスタテンアイランドに打ち上げられた。その残忍な殺され方は、90年代指折りの凶悪事件に挙げられた。

事件を起こすずっと前にガティエンに解雇されていたことは重要ではなかった。メディアは一気に獲物に飛びついた。「奴のせいで、(クラブ・キッズ)ムーブメント全体に傷が付いた」とガティエンは言う。17年間刑期を務め、2017年に釈放されると、再びニューヨークでパーティを主宰し始めた。元従業員の彼とはもう関わり合いになりたくない、とガティエン。ただ、アリグの盛衰を描いた2003年の映画『パーティー・モンスター』で、ディラン・マクダーモットが自分を演じたことに関してはガティエン本人も「まんざらでもない」と認めている。

ガティエン自身も筋金入りのドラック中毒だったことが、さらに事態をややこしくした。フォーシーズンズのスイートルームを借り切って、連日どんちゃん騒ぎしたこともあった。最終的にはそういうことからは足を洗ったが、のちに彼の放蕩ぶりを示すクレジットカード明細が法廷で公表され、彼の有利な方向には働かなかった。

警察当局はクラブを「麻薬のスーパーマーケット」と評し、刺激的なそのキャッチフレーズは嫌になるほど新聞で多用された。ニュージャージーの10代の青年がライムライトでのパーティーの翌朝自宅で亡くなったという事故もあった(検視の結果、ライムライトとは関係のないことが判明)。「あの当時、ニューヨーク・ポスト紙は文字通りジュリアーニのニュースレターだった」とガティエン。「ポスト紙は俺がまるでジョン・ゴッティ(NYの伝説的マフィア)か何かみたいに攻撃してきた。毎日容赦なかったよ」 。とりわけ、今は亡きポスト紙のコラムニスト、ジャック・ニューフィールド氏は、どこかのクラブで犯罪が起きれば何でもガティエン氏を攻撃するネタに仕立て上げた。

Translated by Akiko Kato

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