90年代のニューヨークの夜はヤバかった 伝説的クラブの元経営者が追想

ピーター・ガティエン。1987年撮影(Photo by Brendan Beirne/Shutterstock)



ユートピアに忍び寄るジュリアーニの魔の手

この新しいシーンを、モービーはこう描写する。

「誰もが仲間として受け入れられた。ライムライトに足を踏み入れればブルックリンの筋肉隆々な男たちやドラァグクイーン、ファッション工科大学や郊外から来たキュートなレイバーもいる。アジア系にアフリカ系、白人、ストレート、ゲイ。今思うと本当に貴重だった。でもあの当時は、あれが普通だと思っていた。外の世界はAIDSとコカインで荒んでいて、僕らはナイトクラブでささやかなユートピアを作っているんだってみんな受け入れてたんだ」

「昔はもっと平等主義だった」とガティエンは言う。「俺はボトルを6本入れるような客よりパーティーに貢献してくれる客を大事にした」 今日の荒んだシーンを思い浮かべながら、彼はこう言った。「1OAKみたいなところに行くと、テーブルに案内されるだけで1000ドル取られるんだぜ。ああいう場所からは何も生まれない。この先もな」

「ピーターは市民ケーンとかジェイ・ギャッツビーみたいな謎めいた人だった」と、当時のガティエンについてモービーは言う。「ナイトライフを端から眺めているのを見かけるだけで、誰かとしゃべっている姿は一度も見たことがない。人と絶対に交わらないんだ。いつもあの眼帯をつけていて、遠い存在というか、威圧的というか……007の悪役みたいな感じだった」

1992年、ガティエンはわずか9カ月間でがむしゃらに帝国を広げた――落ち目だったパラディウムとトンネルの賃貸契約を取得し、クラブUSAを立ち上げ――どこも客でいっぱいにし、何百万ドルを大儲けした。そこへ現れたのがジュリアーニだった。

1993年、ルディ・ジュリアーニ氏がわずか5万票差でニューヨーク市長に就任し、市庁舎にやってきた。その年、スタテンアイランドをニューヨーク市から分離する住民投票に勢いを借りた形だった(スタテンアイランドの人々はジュリアーニ氏を愛している)。「生活の質」という新たな取り組みの一環で、ジュリアーニ氏はホットドッグの売り子から大道芸人、信号を無視する歩行者、ストリートアーティスト、車の窓拭きまで取り締まった。

「すると、窓ふき男が足りなくなったのさ」とガティエンは言う。「当時のナイトライフの顔は俺だった」。ジュリアーニ氏にとって格好の的だった。

Translated by Akiko Kato

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