90年代のニューヨークの夜はヤバかった 伝説的クラブの元経営者が追想

ピーター・ガティエン。1987年撮影(Photo by Brendan Beirne/Shutterstock)



米国の地を追われたガティエン

麻薬取締局の捜査官がライムライトをうろつき回り、些細な麻薬取引を取り締まった。連邦検事局は店の常連や小物のドラッグディーラーといったゴロツキをしょっ引き、その中に含まれていた薬漬けのアリグと、釈放を餌にガティエンに不利な証言をするよう取引した。

1998年に公判が始まる頃には、ガティエンが大規模な麻薬組織を主導していた凶悪犯罪のボスだと陪審を納得させられるに違いないと、検察は手応えを感じていた。

裁判は最初から虚言のオンパレードだった。警察に寝返った証人は再び寝返ってガディエンの味方につき、政府から根も葉もないことを言わされたのだと主張した。こちらの意のままになる不良たちを集めようとした検察の目論見は、結局裏目に出た。

62歳のトラック運転手をしていた陪審員は、のちに「証人はみな嘘ばかりついて、一体どう信じろと言うんです?」 と言った。ガティエンは当時マフィアのガンビーノ一家から寵愛されていた有名弁護士、ベン・ブラフマン氏を雇った。裁判が穴だらけだと確信していたブラフマン氏は、弁護側の証人を一切呼ばず、5週間の裁判の後、陪審はわずか数時間足らずでナイトクラブの帝王を無罪とした。

「ピーター・ガティエンの無罪放免は、最も興奮した事件として今も記憶に残っています」とブラフマン氏は言う。彼はその後もP・ディディやドミニク・ストロス=カーン氏の裁判で勝利した。「心の奥で、あの裁判での政府のやり方はあまりにひどいと思っていました」 と彼は言う。それでも、「ピーターの人生の大部分が奪われてしまいました」

その後ガティエンは、あらゆる手を尽くしてセキュリティを強化した。元麻薬取締官まで雇ってクラブを監視させたが、それでも十分ではなかった。定期的に警察から手入れや営業停止を食らい、最終的には高額な裁判費用のせいで手も足も出なくなった。そこを税務署が狙った。

1999年、彼は脱税で有罪を言い渡され、100万ドル以上の追徴金を払った――額に関して本人は、当時の収入を考えると丸め誤差だと言っている。司法取引の結果ライカーズ刑務所に2カ月収監され、2003年、ガティエンは強制出国させられた。30年以上もアメリカに住んでいながら、彼は一度も市民権を取ろうとしなかった。妻と一番下の子供をニューヨークに残したまま、彼は突然一人きりで全ての出発点、カナダに戻った。手元に残ったのは、弁護士からもらったポケットの中の500ドルだけだった(のちに彼はトロントで家族と再会した)。

Translated by Akiko Kato

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