90年代のニューヨークの夜はヤバかった 伝説的クラブの元経営者が追想

ピーター・ガティエン。1987年撮影(Photo by Brendan Beirne/Shutterstock)



才能を見抜く隻眼

ガティエンが6歳のときに片目を失っていなかったら、こうしたことは何ひとつ起きていなかっただろう。語り継がれている都市伝説では、ホッケーの試合で失明したことになっているが、実際は野球が原因だったという。校庭で子供たちが折れたほうきをバット代わりに遊んでいたところ、1人の手からほうきがすっぽ抜け、まるで槍のようにガティエンの左目に刺さった。

「この話をするのはずっと嫌だった」と彼は言う。だがトレードマークの黒い眼帯をつけるようになって「たちまち選ばれし軍団の一員」になり、ジェイムズ・ジョイスやバズーカ・ジョー、スネーク・プリスキン、デヴィッド・ボウイ演じるジギー・スターダストといったイカした著名人/キャラクターたちの仲間入りをしたのだ(弊誌とのインタビューの間、ガティエンはクリスチャン・ディオールのエレクトリックブルーのサングラスをかけていた。「眼帯は最近はもう全くつけないよ」)

事故の後、ガティエンは学校から示談金を受け取り、その一部で1971年にPant Loftというデニムショップをオープンした。店の売上でのちにバーを購入。それが彼にとって最初のナイトクラブだ。土曜の朝のアニメ番組『The Ant and the Aardvark(アリとツチブタ)』にちなんで、店の名前はアードヴァークと名付けた。才能を見抜く審美眼もすでに研ぎ澄まされていた。彼の記憶によれば、最初にブッキングしたギグの中には、新進気鋭のローカルバンド、ラッシュもいたそうだ。

高校時代の恋人と結婚し、2人の娘を授かる。だがアメリカが、そしてディスコが彼を離さなかった。ほどなく彼はオンタリオとアメリカのサウスフロリダを行き来するようになり、そこでRum Bottomsという寂れたバーを購入し、ライムライトとしてオープンさせた。審美眼はここでも発揮され、グレイス・ジョーンズ、グロリア・ゲイナーがクラブを賑わせた。ヴィレッジ・ピープルという変わった連中に山を張り、公演4カ月前にブッキングすると、公演日を目前にして「Macho Man」がラジオで大ヒット。いきなり「全米一アツいアクトを主催した」と、ガティエンも本の中で書いている。

1978年、彼はジョージア州アトランタにもライムライトをオープンし、のちに「南部のスタジオ54」と呼ばれるようになる。Netflix『タイガー・キング』ばりの派手さで、ガティエンはガラスのダンスフロアの下に囲いを作り、そこに本物のヒョウを入れた。今なら彼もこのアイデアには苦笑いだが、巨大なネコがダンサーたちの足元で歩き回るさまは、マスコミや世間を騒がせる彼の天性の才能を予見していた――成功に導き、のちに破滅へ向かわせる才能を。

Translated by Akiko Kato

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