史上最強のA&R・近藤雅信、東芝EMI時代の清志郎、渋谷系を語る



田家:これを選ばれたのは?

近藤:もともとはスチャダラパーがいろいろなミュージシャンとコラボアルバムを作るという中で、小沢くんと1曲というのが起点なんですけど、小沢くんとスチャダラパーは同じマンションに住んでいたんです。その後、そのマンションはブギーバックマンションってみんなに言われるようになりましたけど(笑)。そのマンションで行ったり来たり交流していく中で、小沢くんはヒップホップの面白さみたいなところをスチャダラパーに教えてもらったんですよ。小沢くんは小沢くんでいろいろ別なものを彼らに伝えて、毎日キャッチボールみたいなことをやっていて、その中で生まれていった。その過程がとてもおもしろかったし、できた作品がなんとも摩訶不思議な魅力的な作品で。当時東芝でマーケティング部みたいなセクションの人に新譜ができたら聴かせたりしていたんですよ。意見を聞いたりして。けっこう理解できない人が多くて(笑)。最高でしたね。

田家:そうだったんだ(笑)。

近藤:「わかりません」みたいなことを言う人が多くて。この作品も、スチャダラパーもCDを出して、小沢くんもCDを出して、売上枚数が100万を超えているんですよ。そういうのが痛快でしたね。

田家:小沢健二についてはフリッパーズギターのときから、彼は才能あるなということは感じていたんですか。

近藤:彼がデビュー直前に、六本木にWAVEっていうCD屋さんがあって、僕もよく買いに行っていたんですけど、買いに行っていたらポリスターの友達がいて、「今度うちでデビューするフリッパーズギターです」って紹介してくれたんですよ。そのとき2人を観たときにすごく華があるなと思った。それが最初の出会いですね。その後、縁があって小沢くんのソロを一緒にやることになって、ワーナー時代にコーネリアスと契約してみたいな。

田家:両方とも繋がっているわけです。

Rolling Stone Japan 編集部

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