史上最強のA&R・近藤雅信、東芝EMI時代の清志郎、渋谷系を語る



田家:RCサクセション、1990年のアルバム『Baby a Go Go』の中の「空がまた暗くなる」。これもこちらで入れておりますが、RCの最後のアルバムです。この「大人だろ」って歌詞が年々染みるようになってきていて、当時より今聴いたほうがいい歌ですね。

近藤:田家さんも僕も「ジジイだろ」って歌ったほうがいいんじゃないですか(笑)。

田家:(笑)。RCの無期限活動休止は『COVERS』とTHE TIMERSがきっかけだったという説がありますが、その辺はどのように。

近藤:うーん。深い理由は僕にはわからないですね。あまりそういうことを聞いたこともないし。『Baby a Go Go』というのは、とても大変な状況で。途中でメンバーが辞めちゃったりとかしましたけど、ヘンリー・ハーシュっていうレニー・クラヴィッツのエンジニアでとても有名な方で、その人に日本にきてもらってやったんですけど、とても好きなアルバムです。最近、斉藤和義さんが『Baby a Go Go』がすごく好きなアルバムらしくて、それを聞いたことがあって、そういう人たちがいるってことは嬉しかったです。

田家:RCの無期限活動休止が1991年1月に発表されたわけですが、近藤さんが今日選ばれた最後の曲がHISの「日本の人」。1991年7月に出たアルバム『日本の人』のタイトル曲です。無期限活動休止のあとの清志郎さんの動きの最初だった。でもHISは清志郎さんと細野さんと坂本冬美さんなわけですが、1990年に東芝EMIの30周年イベント「ロックが生まれた日」というのがあって。これがきっかけになっている。

近藤:1970年代、海外ではモータウンレビューとか、アトランティックショー。あるいはワーナーブラザーズショーと称して、リトル・フィートとドゥービー・ブラザーズがロンドンで公演したりとか、レーベルプレゼンテーションみたいなものがよくあったんです。ああいうことをやりたいなと思っていて、東芝EMIに所属しているミュージシャンの人たち、横の繋がりを作ってイベントをやってみたいなと思って、このイベントを考えたんです。

田家:冬美さんの話ですと、新曲発表を1階のロビーでやっているときに中二階の階段をあがったところの会議室で清志郎さんが取材をしていて、それが終わって出てきて階段で冬美さんのコンベンションを見て、あの子いいねって言ったと冬美さんはいっていました。

近藤:ほぼほぼそのままです。そのときに、冬美ちゃんのコンベンションだったのか、演歌の先生方をお招きしてロビーで歌っていたのか、本人は歌っていたんです。取材の合間に中二階で清志郎さんと2人でロビーを見ていたら、冬美ちゃんが歌っているわけですよ。なかなかいいですよね、みたいなモードになって。細野さんは細野さんで自分のアルバム『オムニ・サイト・シーイング』の時に、こぶしっていうものを意識するという発言をいろいろな音楽誌なんかで言っていて。ある種のケミストリーが生まれるかもしれないなとぼんやり僕の中にあり、とりあえず「ロックが生まれた日」ではTHE MOJO CLUBの三宅伸治と清志郎と冬美ちゃんでグループを組んで。そのときはグループ名がSMIだったと思うんですけど日比谷野音でやったんです。それを細野さんが観にきてくれた。それから徐々に間合いを詰めていったという感じですね。「日本の人」というのは、もともとのメロディはあって。細野さんの『コインシデンタル・ミュージック』っていうコマーシャルの音楽集に入っている曲の中に「中国の人」っていう曲があって。その曲にサビを加えたのが「日本の人」なんです。

Rolling Stone Japan 編集部

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