上原ひろみ×石若駿 ジャズ界のトップランナーが語り合う使命感、歴史的共演の舞台裏

Photo by Maho Korogi

 
ジャズドラマー石若駿率いる「The Shun Ishiwaka Septet」が上原ひろみ、アイナ・ジ・エンド、大橋トリオ、田島貴男、PUNPEE、堀込泰行とセッションを行なうイベント『JAZZ NOT ONLY JAZZ』が、6月21日にNHKホールで開催された。その当日に実現した、上原と石若の対談をお届けする。聞き手は当日、オープニングDJを務めたジャズ評論家・柳樂光隆(構成・最込舜一)。イベントの模様は8月に有料配信、9月にWOWOWで出演者による貴重なインタビューなどを加えたスペシャルエディションを放送・配信されるのでお見逃しなく(詳細は記事末尾にて)。

『JAZZ NOT ONLY JAZZ』はただ単に豪華な顔ぶれが揃っただけでなく、歴史的な一夜になった。とりわけインパクトが大きかったのは、上原ひろみと石若駿が初めて人前で一緒に演奏したこと。日本中のジャズファン、音楽リスナーが夢見た共演がついに実現したのだ。

この二人が一緒に演奏したのは、過去に映画『BLUE GIANT』劇中音楽のレコーディングのみ。ジャンルの垣根を超えて活躍する「日本一忙しいドラマー」で、国内のジャズレジェンドとも多数共演してきた石若だが、上原とのライブはこれまで一度もなかった。かたや上原は、これまで自身のグループでの活動が中心にあり、J-POPアーティストとは多くコラボしているものの、イレギュラーなセッションを日本人のジャズミュージシャンと行なう機会はほとんどなかった。

今回、貴重な共演ステージを迎える直前の二人の対談が実現した。お互いへの印象や日本のロック・ポップスへの思い、そして日本のジャズを牽引してきたトップランナーとしての使命感まで。この両者が並んだからこその貴重なエピソードばかりが語られ、ここから何かが始まる予感さえ感じさせるものになった。おそらく将来、日本のジャズ史を振り返ったとき、特別な一日と記録されるのは間違いないだろう。


Photo by Maho Korogi

―お二人がそれぞれを認識したときの話から聞かせてください。

石若:僕は「XYZ」が入ってる『Another Mind』(2003年)ですね。札幌時代というか、僕が馬場(智章)とかと一緒にビッグバンドを始めた頃だったと思うんですけど、新譜をチェックしにCD屋に行くのがとにかく好きだったんです。ひろみさんのアルバムはジャズ好きな親父が先に買っていたので、それを車でずっと聴いてました。演奏してる姿を初めて見たのは「東京JAZZ 2004」のライブをテレビでやってたときです。ジャズってこんなに自由で楽しいんだと思い始めた時期に身近にあったのがひろみさんの音楽でした。



―実際に聴いて、どう思いましたか?

石若:すげえ!って思いました。50〜60年代の古いジャズとか、アート・ブレイキーとかは聴いていたんですが、ジャズがリアルタイムで進んでるのを感じました。

―そのときは何歳?

石若:9歳とか、小学校4年生くらいですね。あと、ひろみさんのドキュメンタリーも見たことあります。テレビとかでジャズに関係する番組は全部録画してて、その頃に日本人アーティストとして世界で活躍するひろみさんをすげえって思ってました。あと、キタラ(札幌)にオスカー・ピーターソンが来たとき、前座がひろみさんのトリオで、それも観に行ったんです(2004年)。だからもう札幌時代の青春っていうか、僕の中でのジャズの始まり、爆発の時期でした。

―デビュー作からずっと聴いてるんですね。

石若:そうです。まさか共演できるとは思ってなかったですし、『BLUE GIANT』で最初にお会いした時は本当に緊張しました。それで今回は(『JAZZ NOT ONLY JAZZ』で)僕にとっての初期衝動を象徴する曲「XYZ」をぜひ一緒にやらせてくださいとお願いしました。最初にリハをやった時は当時のことを思い出しましたね。しかも、本人が目の前で音を出してるのもやばい(笑)。これがセットの最後に待ち構えてるのはプレッシャーなんですけど、本当に特別です。


上原ひろみ 『JAZZ NOT ONLY JAZZ』にて(Photo by Maho Korogi)


石若駿 『JAZZ NOT ONLY JAZZ』にて(Photo by Maho Korogi)

―上原さんが最初に石若さんを認識したのはいつですか。

上原:『BLUE GIANT』の仕事が2020年ぐらいから始まって、私も曲を色々書いてました。サックスはオーディションで決めることになっていたんですけど、ドラムを誰に頼むかは自分で決めなきゃいけなくて。でも私は日本のドラマーとは片手で足りるくらいしかやったことがなかったので、とにかくいろんな人を聴きました。『BLUE GIANT』のドラマーは初心者という設定なんですけど、それでも最後にお客さんの心を震わせる演奏シーンがあるので、ドラムの経験が全くない人には難しい。様々な視点からドラマーを聴いていく中で、駿くんの音色に惹かれたんです。私にとって音色は非常に重要で、(Rolling Stone Japanのインタビューで)いつもそのことばかり話してる気がしますが(笑)、キャラクターには大地というか自然を感じる音を求めていて。駿くんの演奏はどんな状況でも大自然を感じさせるような音色があります。野生味というか。

―なるほど。

上原:駿くんは野生味がありながらも、しっかりとコントロールされたタイトな演奏もできる。野性味がありすぎるとリズムの「ポケット」が弱くなりがちですが、それをしっかり支えるコアもあります。それで「私は石若くんがいいです」って提案してお願いしたら引き受けてくださった。でも、せっかく受けてくださったのに「上手すぎる」だなんだ言われ続けて(笑)。

石若:でも面白かったですね。

上原:映画ではとにかく「ヘタに叩いてくれ」と言われ続けてましたね。私と馬場くんからしたら十分ヘタに聴こえても、監督や原作チーム、音楽の現場に普段身を置いてない人からすると、それがヘタに見えない。だから「もっとヘタに」ばっかり言われてました(笑)。それに私が務めたピアニストの役は事故に遭っちゃうので、結局本気で演奏する機会があまりなかったんです。最後のライブシーンは本気の演奏に近づけたけど、それでも1年半の練習期間という設定なので限界がありました。あと役を演じているところもあって、あれだけの時間を過ごしたにしてはちゃんと突き交わして演奏することなく終わったかな。私も駿くんとやったのは左手だけなので、今回初めて両手で、本気で一緒に演奏します(笑)。

―『BLUE GIANT』以前は面識もなかった?

石若:はい、セッションもなかったです。でも、映画を撮る前に1回飲もうみたいな機会はあって。斉藤さん(ユニバーサルミュージックのジャズ担当プロデューサー・斉藤嘉久)の番号から電話がかかってきたので出たら、ひろみさんに「今から来れる?」って言われて。「すいません、ちょっと今お風呂入ったばっかりで……」って伝えたら、10分後にまた電話がきて。「やっぱ来て!」みたいな(笑)。

上原:「ユキちゃん(BIGYUKI)や馬場くんも来たよ!」ってね(笑)。

石若:そうそう。結局その時は会えなかったんですけど。


Photo by Maho Korogi

Text by Shunichi MOCOMI

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