レジェンドプロデューサー高垣健が語る、ビクターのロックの礎を作ったPANTAの音楽

やかましい俺のROCKめ / PANTA



田家:1977年3月に発売になったPANTAのソロの2枚目のアルバム『走れ熱いなら』の中の「やかましい俺のROCKめ」。

高垣:タイトル通りだと思うんですけど、PANTAの気持ちにはロックンロールでアピールしたいこと、ヨーロピアン・ポップスに憧れているやさしいメロディアスなことと両方あって。その中のPANTAのデリカシーというか、ジレンマというか、そういう音楽性がこの1曲に込められている。

田家:はい、まさにジレンマの歌ですね。

高垣:このときは1枚目がおかげさまで好評でヒット賞もとれましたので、2枚目を作ろうという翌年1976年の秋から冬にかけてミーティングの中でPANTAが紹介してきたのが、山岸潤史さん。当時、ソー・バッド・レビューにいたのかな。彼がいいんじゃないか、彼と一緒にやりたいという話で、その中で山岸さんがセッションを組んでくれたのがドラムのジョニー吉長さん、キーボードの国府輝幸さん、その他の方ですね。

田家:1枚目が終わって、あらためてPANTAってこういう人なのかとか、こういうことをやりたいんだと、よりわかっていく感じだったんですかね。

高垣:そうですね。

田家:70年代の後半の1977年、1978年はロック御三家、ツイスト、Char、原田真二みたいな、それまでお茶の間の中にあまり縁のなかった音楽、人たちがあらためて脚光を浴びていく時代でしょう。そのへんは制作者として世の中の流れが変わってきているなみたいな感じもあったんですか?

高垣:そうですね。バンドでライブをやる機会、場所というのが急に増えた時期でもあったんですね。

田家:新宿ロフト開店が1976年ですからね。

高垣:PANTAも1977年の『走れ熱いなら』を作った後にPANTA & HALをもう結成しているんですね。ドラムの浜田文夫くんがメンバーをいろいろ集めてきてギターの今剛くんとか佐藤宜彦くんとかが集まって、PANTA & HALという名前でツアーをやりました。北海道から九州まで1977年の秋から冬にかけてツアーをやったんですけど、そのときはマネージャーがまだいなくてですね。高垣さん一緒に行こうって言われて、僕がマネージャー代行みたいなことをやったんですね。それがすごくいい経験になりまして、ライブにくっついて行って、メンバーの代わりにいろいろな交渉事をしたりするわけですね。地元のイベンターの方との付き合いが始まったりしたので、その後の僕の仕事にどれだけワンツアーの経験が有効だったかというのはすごいありました。

田家:洋楽をやっていたら絶対にそういう場面はありませんもんね。そういう意味でも2人の関係がどういうものだったのかということが伺われるのではないでしょうか。高垣さんが選ばれた今日の4曲目、PANTA & HALです。1979年3月発売のアルバム『マラッカ』から「つれなのふりや」。

つれなのふりや / PANTA & HAL



高垣:ビクターはレコード会社の中でもうちょっと幅の広いポップなレーベルを作ろうという話になってきまして、フライングドッグがロック・レーベルというイメージで作って、もう1つはロックプラスアルファのポップなレーベルを作ろうというので、インビテーションっていうレーベルができたんですね。僕もいろいろなことをやりたかったので、2つのレーベルの掛け持ちみたいなことをやったんですけど1977年春にYAMAHAのコンクールでサザンと出会って、彼らもマネージャーもいなければ学生だったので、そっちの仕事と並行してやっていたんですけれども、PANTA & HALは他の人が担当して僕はインビテーションの方にレーベルは移ったんですね。でも、もちろん気になるのでスタジオによく覗きに行ったりとかしていたら、ムーンライダーズの鈴木慶一さんが見えて、慶一さんが今度プロデュースをやると。鈴木慶一さんは僕もよく存じていましたけれども、慶一さんとPANTAというのは、最初、ちょっと接点がどうなの? っていうのがあったんですけど、PANTAはそのへんは本当にフレキシブルというか。

田家:柔軟だった。

高垣:柔軟で、ミーティングも上手くいっているようだし、出来上がってきた音を聴かせてもらったら何これはっていうちょっとびっくりしちゃうくらい新鮮だったのがこの「つれなのふりや」で。イントロはバリ島のガムランですよね。ガムランが入って、中のメロディのリズムはレゲエっぽい。しかも音はみんな加工された、バラードだけどちょっと縦ノリのニューウェーブの匂いがするという。それがこの曲でしたね。このアルバム『マラッカ』にも結実されています。

田家:名作ですね。

ムーンライト・サーファー / 石川セリ



田家:高垣さんが選ばれた9曲の中にこれがありました。石川セリさんの「ムーンライト・サーファー」。1977年のセリさんのアルバム『気まぐれ』に入っておりまして、1979年にシングル・カットされている。作詞作曲が中村治雄。

高垣:PANTAの本名ですね。当時PANTAは本当に人脈が広いというか。特に若い女の子からモテたんですね。当時アイドルとして活動されていたタレントさんたちの中にも友だちがいっぱいいて、その方たちからPANTAに曲作ってよ、なんかプロデュースしてよという甘い囁きが(笑)。

田家:先方から来てた(笑)。かっこよかったですもんね、ステージとかも。

高垣:横にいてびっくりしたんですけども、その中で、荻野目洋子ちゃんとか、岩崎良美さんとか、いろいろな方の曲をPANTAは作っていました。一番やっぱりPANTAのシンガー・ソングライターとしての醍醐味の曲はこれかなと思ったのが、この「ムーンライト・サーファー」。石川セリさんです。

田家:フランス・ギャルが好きだという面はこういうところに発揮されるわけですもんね。PANTA & HALの話に戻るわけですが、1979年の『マラッカ』。そして1980年の『1980X』、オリジナル・アルバム2枚とライブ・アルバム『TKO NIGHT LIGHT』があるわけですが、3枚はそれぞれ違いますよね。

高垣:そうですね。やっぱり新鮮さ100%のアルバム『マラッカ』ができて、その余韻の中でこの『1980X』ができたんですけれども、完成度としては新鮮さはもちろん『マラッカ』にありますけど、その音楽的な端正さ、緻密さというのはこの『1980X』。アレンジなんかもすごくシンプルになっているし、同じ鈴木慶一さんプロデュースなんだけれども、かなり飾りを削ぎ落としたアルバムになっていると思います。

田家:お互いの気負いみたいなものがそんなになくなっているという感じですかね。

高垣:そうですね。しかも本来の反骨、シャープさ、結構強力な曲と、それからフレンチ・ポップスに影響されたようなメロディアスなポップスと両方入っているというPANTAのポリシーは変わらないところにありますね。

田家:今日の5曲目です。アルバム『1980X』から「トゥ・シューズ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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