ヒクソン・グレイシーが語る、パーキンソン病との闘い、悟りの境地

長男の死と「目に見えない柔術」

過去10年、ケガやパーキンソン病を経て、ヒクソンは柔術に関して新しい考え方をするようになった。人間の自信を刺激してポテンシャルを引き出す、よりスピリチュアルな考え方である。戦わずして勝利するという考え方を、彼は“目に見えない柔術”と呼んでいる。

柔術に対するスピリチュアルな視点が生まれた理由のひとつは、彼の長男ハクソンの死によるものだった。

1981年に生まれたハクソンにとってブラジリアン柔術は親しみやすいもので、彼はグレイシー一族で最高の才能に恵まれていると言われるようになった。

19歳になった頃、彼はロサンゼルスを出て、モデル業を目指すべくニューヨークに向かった。ホクソンは家族から距離を置くようになったが2001年1月、死体となって発見されている。身元確認の根拠となった腕の刺青は“世界最高の父親・ヒクソン・グレイシー”と彫られたものだった。

ニューヨーク市警がハクソンの遺体を発見したのは前年12月、マンハッタンのプロヴィデンス・ホテルでのことだった。死因はドラッグの過剰摂取だった。彼は当初共同墓地に葬られたが、後に火葬され、遺灰はマリブのビーチに撒かれた。

この悲劇を経て、ヒクソンは人生を再考するようになった。彼は予定されていた試合をキャンセル。それ以来プロとしてはリングに上がっていない。

彼は鬱との闘いを余儀なくされ、離婚も経験している。2番目の奥方となるキャシアと出会って、彼はロサンゼルスに戻った。その人生は勝利の連続だったが、息子の死は乗り越えることが不可能に近かった。

「練習に復帰したとき、私はもうトップになるためのトレーニングを出来る年齢とは言えなくなっていた」。ヒクソンは語る。「しかし私はそれを乗り越えて、自分の人生と家族を正面から見据えることにした。そして人生を良い方向、ポジティヴな方向に持っていくことが出来たんだ」

悲しみと折り合いを付けるため、彼はブラジリアン柔術にテクニックだけでなくハートの要素を取り入れた新しいヴィジョンをもたらす必要があった。彼は“目に見えない柔術”を残していくことを望んでいる。

「実際に人を癒やすことが可能なんだ」ヒクソンは私に言う。「柔術によって前向きな影響を受けられる。砂漠で水を手に入れるような気分だよ。それは自分のエゴのためではない。自分の持つ価値を喉が渇いた人々に提供することの重要性を考えているんだ」

“目に見えない柔術”は戦闘に焦点を当てるのでなく、それを超えた武道であると彼は主張。内面の成長と自己評価、そして自己の最上の姿を見出す自信を築くことに重点を置いている。ヒクソンは具体的に説明するのに苦労している。その多くの部分はいかにもありがちな“潜在能力を引き出して自信を持つ”という、ヒクソンよりもトニー・ロビンズ(訳注:アメリカの自己啓発文筆家)が言いそうなセリフだ。

ある意味その発言は、ヒクソンがかつてのようなアスリートたり得ないゆえのものだろう。ここ15年、彼は腰と背中の怪我に悩まされてきた。サーフィンのポップアップは遅くなり、闘いの喜びは消えていく。その結果、彼は柔術がマットの上だけでなく、人生においてどんな意味を持つのか、深く考える必要を感じるようになった。彼は精神性により焦点を当てるようになったのだ。自信、戦略、忍耐、彼はそれらを、格闘技の“目に見えないツール”と呼んでいる。


Photo by Cassia Gracie

Translated by Tomoyuki Yamazaki

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