ヒクソン・グレイシーが語る、パーキンソン病との闘い、悟りの境地

ヒクソン・グレイシー/2023年9月撮影(Photo by Cassia Gracie)

グレイシー一族の名はブラジリアン柔術(BJJ)と同義で語られ、現在65歳のヒクソン・グレイシーは格闘技界で伝説的な存在だった。1980年の初試合以来、彼は世界を股にかけて戦い続け、その非公式な戦績は400戦以上無敗とされている。

【写真を見る】1995年「VALE TUDO JAPAN OPEN 1995」決勝戦、格闘家の中井祐樹に勝利したヒクソン

100億ドル規模のマネーが動くUFC(アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ)からアメリカ各地のモールにある格闘技道場までが、グレイシー一族のおかげで存在すると言って過言ではない。この競技を確立するにあたって、ヒクソンとグレイシー一族ほど大きな貢献をした格闘家、あるいはアスリートは存在しないだろう。彼らはブラジリアン柔術のラシュモア山を形作っているだけでなく、建築家であり彫刻家なのである。

ヒクソンは自ら主宰する柔術セミナーで、黒帯の選手を何人も並べて、1人1人と組み手を行い、全員からタップを奪う。アメリカに格闘技を根付かせることに尽力したチャック・ノリスですらも、ヒクソンに太刀打ち出来ない。「ヒクソン・グレイシーとグラウンドの状態になったんだ。まるっきりの初心者になった気分だった」。伝説的な格闘家で俳優でもあるノリスは格闘技系WEBサイト“ブラディ・エルボウ”のインタビューで語っている。「おもちゃにされたよ」

ブラジルの映画監督ジョゼ・パジーリャはヒクソンの伝記のブラジル版に序文を寄せており、時代を超えたサッカーの巨人でありブラジルの生んだ最も著名なアスリートであるペレと例えている。ペレは自らの得意分野において世界最高峰だった。

それはヒクソンも同様だった。「誰かを世界最高峰と讃えるとき、他のスポーツを無視するという過ちを犯しがちなんだ」。パジーリャは語る。「ヒクソンはペレと同じぐらい優れているよ。何の違いもない。ペレが試合をするとき彼は支配者、フィールドで最高のプレイヤーだった。対戦するチームは、誰もが彼を止めようとする。ヒクソンは柔術で同じような位置にあったんだ」

だが今、ヒクソンは勝ち目のない強敵と向き合っている。彼が手の微妙な震えに気付いたのは、3年近く前のことだった。翌年、彼の主治医はパーキンソン病の診断を下す。モハメド・アリもパーキンソン病と関連する敗血症性ショックで亡くなっている。

ヒクソンが病状告白をしたのは今年の初め、キーラ・グレイシーのPodcastでのインタビューだった。パーキンソン病は脳の神経細胞が損壊する神経性の疾患で、ドーパミンが減少、脳の動きに支障が生まれる。手に震えが起こり、身体の動きがままならなくなるという病気だ。正しい治療をしないと、10年にわたって寝たきりになることもあるし、寿命は短くなってしまう。

ボクシングやMMAのような格闘競技で受ける頭部への衝撃がパーキンソン病とどのように関係するかは、1817年にジェイムズ・パーキンソンがこの病気を発見したときから議論されてきた。その後の研究で、頭部へのダメージがパーキンソン病発症のリスクを増加させることが明らかになっている。

頭部への衝撃とパーキンソン病の関連についての2006年の研究発表によると、衝撃を繰り返し受けることで発症のリスクが高まることが明らかになっている。2018年、ボストン大学メディカルスクールの研究でもまた、軽度でも脳への損傷が繰り返されることでリスクが高まるという結果が出た。どちらの研究においても両者に関連性があると論じられているものの、神経学者は必ずしもそう結論づけてはいない。そして関連性はともあれ、パーキンソン病はヒクソンにとって最後の対戦相手となったのである。

Translated by Tomoyuki Yamazaki

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