ザ・キルズが語る、ギターミュージックの新たな地平を開拓し続ける原動力

 
神が不在のスピリチュアルなレコード

―『God Games』ではゴスペル隊も印象的に使われていますが、あなたたちにとってゴスペルとはどのような意味を持つ音楽でしょうか? 

アリソン:とにかく素晴らしい響きを持つ音楽。

ジェイミー:これほどまでにソウルを感じる音楽は他にはない。信心深くある必要はないんだけど、集まった善良な人たちがひとつの信仰を掲げて、それに向かって歌を捧げる素晴らしさは、他のものには決して辿り着けない境地があるよ。

アリソン:すごくパワフルだよね。

ジェイミー:俺たちでは人数が足りなくて聖歌隊を組むことは出来なかったから(笑)、俺たちはキルズという信仰だけを掲げて、あとはゴスペルガールズに唱ってもらったんだ。彼女たちのゴスペルは、まるで自然が生んだ楽器のようにコードを奏でてくれた。キーボードなんかの楽器は使っていないのに、俺にコードを感じさせてくれたんだ。とても人間的な温もりがあって、ミニマルだったね。


Photo by Myles Hendrik

―「神が不在のスピリチュアル(godless spirituals)なレコードを作りたかった」というジェイミーの発言が本作のプレスリリースで引用されています。あなたたちは、音楽とはそもそもスピリチュアルなものなんだと思っていますか?

アリソン:うん、そういう風に感じている。

ジェイミー:そうだね。

アリソン:音楽はすごくパワフルなものだから。私たちが信じることが出来る、気分を高揚させてくれる力を持っていると思う。私にはステージで演奏する時の気分しか語ることができないけど、それはもう本当にワイルドな体験だから。この気持ちを他の人にどう表現していいか分からないくらい。

ジェイミー:ポール・マッカートニーが言ってたけど、「なぜちっぽけな音楽が聴き手を泣かせることが出来るのか、なぜ鳥肌を立たせることが出来るのか」ってね。音楽は涙を流させることもあるし、気分を高揚させて幸福な気持ちにさせてくれることもある。それはどうしてなんだろう? 意味が分からないよね。それはきっと音楽が持つ魔法の力なんだ。過剰にドラマチックなことは言いたくないけど、俺は音楽にはある種の超自然的な力が備わっていると思うよ。

アリソン:パリの郊外でイギー・ポップを観た時のことを覚えてる? もう本当に息が出来ないくらい素晴らしかったよね。芝生にしゃがみ込んじゃって、「よし、もう大丈夫」ってなるまで動くことも出来なかった。あれはワイルドな体験だったな、本当にすごかった(笑)。



―このタイミングで「神が不在のスピリチュアルなレコードを作る」という発想に至ったのは、パンデミックを経験したこととも関係があると思いますか? というのも、パンデミックは誰もが予想できなかった出来事で、人間の無力さやちっぽけさ、そして人知を超えた力を想起してしまうようなところがあったからです。

アリソン:私たちは誰もが自分なりの考え方を持っていて、時には黙考したり内省的になったりする。そして、それが色々な種類の曲を生むことになる。でも、私たちは決してパンデミックに関するレコードを作りたかったわけではなくて。それどころか、パンデミックについて歌うことは一切したくなかった。そうすべきではないと感じたから。だから、曲の幾つかは何度も書き直したりして。でも、自分の人生で経験したことは全てシュールな現実として受け入れるべきだとは思っている。

ジェイミー:間違いないね。曲を書く時は、いつでも自分たちについて書いているんだから、自分がどこにいようが関係ないと思うんだ。近未来的なサイエンスフィクションを書こうが、過去の自分を回顧するような曲を書こうが、結局は今、この場所にいる自分が感じたものについて書いていることは間違いないんだから。

―パンデミックについての曲は書かないにしても、パンデミックで結果的に時間の余裕が生まれたことは、このアルバムで意欲的なサウンドを追及することに影響を与えたのではありませんか?

アリソン:自分たちのその時の状況は、回顧的に振り返ることしか出来ないけど、もしあの時スタジオに入ることが出来て、そこで曲作りをしていたらきっと違ったサウンドのレコードになっていたと思う。その時に書いた曲はその時にしか書けないだろうし、それをその時に出来る形でレコーディングしたわけだから。状況が違っていたら、今回と同じようなサウンドは生まれなかったかもしれないし、前作からこんなにブランクが空くこともなかったかもしれないしね。

ジェイミー:でも俺はやっぱり、時間の余裕がなかったらピアノの弾き方を学ぶこともなかっただろうし、ブラスサウンドに着目して、それをすごく生っぽいやり方でレイヤーを重ねていくような時間もなかったと思う。世界がシャットダウンしている間に、実験を重ねる時間がたっぷりあったのは確かだと思うな。諸刃の刃ではあるけど、惨めでもあり、自由でもあったね。牢獄に閉じ込められている一方で、同時に解放的でもあったというか。

―「My Girls My Girls」ではある種の後悔や反省が歌われていると同時に、音楽が持つエクスタティックな高揚感も歌われているように感じます。この曲はクワイアが参加していることもあって、教会での懺悔のようにも聴こえました。

ジェイミー:そうだね、あれは俺の悔恨がベースになっている曲なんだ。過去を振り返ってみて、自分が起こした幾つかのことについて後悔があって、今だったらもっと違うやり方をしていただろうって、この曲を書いた時に感じていたんだ。ある意味、謝罪の気持ちから書き上げた曲だね。でも、曲作りというのは、最初は自分が経験した実話を元に始まって、Bメロではまた別の経験を持ってきて、Cメロは完全にフィクションになっているというのはよくあることなんだ。1つのアイデアが元のアイデアを凌駕して、また新しいアイデアがそれを越えていくというのが好きだから。



―この曲の歌詞は、まさにそういう広がりを持っていると思います。

ジェイミー:だから、スタート地点は俺の他の人に対する懺悔だったけれど、そこから死というものに考えが広がっていった。俺たちは皆いつかは死ぬし、それは避けられない。その時に後悔したくないと思ったんだ。何と言えばいいのか分からないけど、例えば、いつか傷つけた人たちと、またひょんなことから再会出来るかもしれない。そうしたことを繰り返していくうちに、死を迎える時に心残りがなければいいなと思ったんだ。この世は美しいものと愛に溢れているんだから。そんな結末にしたかった。この曲の始まりは悔恨だったけれど、終わりは人生賛歌のようになっていると思う。

―この曲のサウンド自体は、どこか高揚感のあるものになっていますよね。そうした歌詞の世界観が、サウンド自体に影響を与えたところもあると思いますか?

ジェイミー:そう思うよ。特にクワイアが入っているしね。賛美歌のような雰囲気はあると思う。

アリソン:このアルバムの曲は、歌詞はどこかダークでも、歌い手としてはすごく綺麗なメロディに喜びを感じる。悲しいことや解決しなければならない悩み事、疑問といったものが美しいメロディで昇華されて、ひとつの輪として融合していくような。メロディがその役割を果たしていることもあるし、クワイアがそれを担っていることもあると思う。暗澹とした歌詞が喜びに満ちたメロディで昇華されるところに希望があるっていうか。そういうコントラストがあるほど、面白い曲になると思う。だから、私はこのレコードをとても愛しているの。みんなもその対比に戸惑うのではなく、ハッピーになって欲しい。

―「LA Hex」で歌われる「けれど確かに私もかつては気鋭の新人だった / そして今は違うと分かってる / 私にはまだ私なりのやり方があるんだよ」というラインも印象的です。ここには一抹の寂しさと同時に、時代の荒波に揉まれながらもキルズというバンドを続けてきたプライドのようなものを感じました。

ジェイミー:俺はあんまり気に入ってないんだけどね。この曲はLAが舞台になっていて、とある美しい交差点での出来事を歌っているんだ。大都会の中に上手く溶け込めたと思った1分後には、自分はそこに属していないことを思い知らされるというね。パンデミックの時期、LAの街角から人が消えて、まるでSF映画の世界みたいだった。自分はかつてこの街に来て上手くやっている気になっていたけど、今ではパジャマを着たまま家に引き籠もって、ピアノを練習してるっていうね(笑)。

Translated by Tomomi Hasegawa

 
 
 
 

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