「ギターソロはもういらない?」日本で議論呼んだNYタイムズ記事を完全翻訳

左からジミ・ヘンドリックス、エディ・ヴァン・ヘイレン、エイドリアン・レンカー(Photo by Mark and Colleen Hayward/Getty Images, Larry Marano/Getty Images, Burak Cingi/Redferns)

昨年5月、日本のネット上で物議を醸した「若者がギターソロ飛ばす問題」。事の発端はニューヨーク・タイムズ紙の記事における、「今年(2022年)のグラミー賞で"ロック"カテゴリーのノミネート曲にギターソロがほとんどない」というショッキングな指摘だった。

ところが実際のところ、取り沙汰された同紙のコラムは、ギターソロのオワコン化をひたすら嘆くようなものではない。むしろ、グラミー賞云々のくだりは話のまくらに過ぎず、筆者はいまもギターソロが進化を遂げていると主張しており、思わぬジャンル/場所で生き続けていることに希望も見出している(言ってしまえば真逆の論調だったわけだが、肝心の本文はギターソロを飛ばすようにスキップされ、イントロのフレーズだけ切り取って騒ぎ立てた結果、一大論争にまで発展したというのは皮肉にもいまっぽい話だ)。

この記事を執筆したのは、4AD、Matadorなど名門インディを擁するBeggars Group USA社長にして、父親であるジャズの巨匠ロイ・エアーズとの関係を描いた自伝エッセイ『My Life in the Sunshine』を刊行するなど、人気音楽コラムニストとしても活躍するナビル・エアーズ(Nabil Ayers)。彼が4月29日に黒鳥福祉センター(港区・虎ノ門)にて特別トークイベントを開催するのを記念し、議論を呼んだコラムの日本語版をお届けする。翻訳はトークイベントの聞き手を務める若林恵(黒鳥社/blkswn jukebox編集委員)。

From The New York Times
"Opinion | Why We Can't Quit the Guitar Solo"
© 2023 The New York Times Company


筆者のナビル・エアーズ(Photo by GABRIELA BHASKAR)

〈Intro〉

ギターソロを時代遅れのマッチョな様式と見なすのは簡単だ。弾きまくるリードギターは、かつてロックの世界のいたるところにあったが、いまではすっかり過去の遺物のようだ。

ギターソロというロックにおけるお約束は、いまやメインストリームではほとんど見かけない。2022年のグラミー賞のロックソング部門とパフォーマンス部門(最優秀ロック・パフォーマンス賞、最優秀ロック・ソング賞を含む)にノミネートされた作品に、ギターソロはなかった。

しかし、その形式が有するエモーショナルな力が失われたわけではない。ギターソロはショーマンシップや技術の高さをひけらかすためだけのものではない。最高のギターソロは、弾き手が聴き手に向けて心を全開にし、己の脆弱さを露わにする瞬間なのだ。


ピート・タウンゼント(Photo by Graham Wiltshire/Redferns)


プリンス(Photo by Paul Natkin/WireImage)

電撃的な体験

先日、ビッグ・シーフのエイドリアン・レンカーが1200人のソールドアウトの観客の前で行ったロンドン公演における感情的な頂点は、彼女自身によるアコースティックギターソロだった。パーカッシブなハーモニクスとベンドを駆使した「Simulation Swarm」は、耳だけでなく体全体に働きかけるものだった。観客の大半は静かに座って鑑賞し、曲が終わるのを待ってから拍手をしていたが、抑えきれずに大きな歓声を上げ、音楽の魔法を一瞬だけ台無しにしてしまう者もいた。

レンカーのライブでこうした現象を目撃したのは初めてのことではない。彼女のバンドが所属するレコード会社(4AD)の経営に携わっている以上、彼女のライブについては客観的に語ることは難しい。それでも私は、それまで大人しく演奏を聴いていたオーディエンスが声を上げ、その場の一部となり、プレイヤーが音楽的な冒険へと突き進むのを鼓舞するさまに魅了された。それをもたらしたのは、目眩しや速弾きではなく、彼女から表現が溢れ出すに従って高まっていく感情の昂りだった。マイクスタンドから離れることで、彼女のギターの演奏にスポットライトが当たる。観客はそこで何かを感じた。そして、何かを感じたことを彼女に伝えようとしたのだ。


エイドリアン・レンカー(Photo by Roberto Ricciuti/Redferns)



これこそがギターソロの力だ。プレイヤーにとって、それはリスクに身をさらす瞬間であり、ほんの短い時間であっても、耳と体と心で観客とつながろうとする表明なのだ。「オーディエンスが反応するのは危うさなんだ」。リヴィング・カラーのギタリスト、ヴァーノン・リードは、自分のギターソロ体験について、そう答えてくれた(この文章で引用した多くのミュージシャンと同様、彼も友人だ)。

彼は続ける。「誰かが崖っぷちへと身を乗り出し、そこでどんなドラマが起きるのかと観客の心が奪われるとき、あらゆるパフォーマンスが電撃的な体験になる」


Translated by Kei Wakabayashi

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