村井邦彦が語る、「キャンティ」創業者・川添浩史を描いた著書『モンパルナス1934』



田家:この本の後半の1つのテーマがアヅマカブキとYMOのワールドツアーだとも思ったんですけども、日本文化を海外に広める。これはやっぱり紫郎さんから村井さんが受け継がれたことであると。

村井:川添さんは戦前から映画の輸出入をやっていたんです。日本から石川啄木の映画を持っていって戦争が始まる寸前のヴェニスの映画祭で上映しています。「大いなる幻影」(1937年)というジャン・ルノワールの映画を日本で公開しようとするんですけど、ドイツ大使館から圧力があってこの映画は日本では上映できなくなってしまうこともありました。内容にドイツの軍人を馬鹿にしたようなところがあってナチス・ドイツの宣伝大臣ゲッベルスが日本での上映を止めろとドイツ大使館に指令を出したのだと思います。日独伊の三国同盟の締結のためにドイツの悪いイメージになるような映画の日本での上映を阻止したかったのでしょう。この顛末もこの本に書いてあります。世界の文化を日本に、日本の文化を世界に持っていくということが川添さんの一番やりたかったことなんです。その中でいくつかの成功があります。例えば「ウエスト・サイド・ストーリー」のオリジナル・キャストを日生劇場でやったのも川添さんです。本格的なブロードウェイのミュージカルを日本で見られるようにした初の試みでした。天才的な舞踊家、吾妻徳穂さんの「アズマ・カブキ」をワールドツアーに出して欧州とアメリカで大成功しました。ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスとかニューヨークのブロードウェイだとか一流の劇場で公演しています。その成功を僕は子どもの頃に聞いていて、「いやー素晴らしい仕事だな」って思いました。僕も大人になったら日本のいいものを外国に持っていって見せたいなと、ずっと思っていたわけなんですね。

田家:後半のエピソード10以降は日本の話が多くなっていて、1970年の万博のこととか、1968年に村井さんがアルファを作られた時のこともお書きになっていて、前半で出てきている方たち、パリで会ったような建築家の方とか、そういう人たちが1970年の万博の主要スタッフにもなっていたというのも、ちゃんと繋がっていましたね。

村井:1937年のパリ万博では、紫郎の仲間の建築家、坂倉準三が日本館の設計をしてグランプリを取るのです。小説の中に紫郎、坂倉、岡本太郎、井上清一がパリ万博の会場を歩くシーンを作りました。

田家:オンド・マルトノがそこで初めて使われた。

村井:四人が会場を歩いていると、セーヌ川沿いのところでオリヴィエ・メシアンが作曲したオンド・マルトノという電子楽器のための曲のコンサートをやっていた。オンド・マルトノはシンセサイザーの元祖のような電子楽器です。紫郎はこのコンサートを聞いてこの楽器のために日本人が作曲したらいいものができるのではないかと考えます。伝統的な西洋の楽器と違って何か新しい表現ができるのではないかと思うのです。この部分は僕と吉田さんの創作ですが、40年先のYMOの出現を予測するいいシーンだと思います。細野晴臣にこのシーンのこととオンド・マルトノのことを話したら、もちろんこの楽器のことを知っていて大変興味を持っていました。1937年に発表されたメシアンの電子音楽はネットで聞くことができますのでぜひ聞いてください。美しいですよ。1937年のパリ万博の会場を歩いた仲間達は、1970年の大阪万博で大活躍をします。川添さんは富士銀行グループのパビリオンの総合プロデューサーを務める。坂倉準三は電気館を設計する。岡本太郎は有名な太陽の塔を作ります。残念ながら完成を前に坂倉さんは1969年に亡くなり、川添さんは1970年に亡くなります。戦前のパリで出会った若者たちが敗戦から立ち上がって復興した日本の象徴的な出来事であった大阪万博で活躍をするのもこの本のメインの部分なんです。

田家:戦前の1930年代に青春を過ごした人たちの夢とか、志とか願いとか希望がずっと繋がってきて、1970年代の日本、そしてYMOのワールドツアーというところで完結していくストーリーですもんね。YMOの成功を社長室で聞かれた村井さんが涙を流された時に「聞かせてよ愛の言葉を」が流れていた。こういう終わり方でした。最後の曲は新曲をもう1曲お聴きいただこうと思います。「1月のカンヌ」。

1月のカンヌ / 村井邦彦

田家:これはさっきの「Montparnasse1934」と同じように小説のためにお書きになった?

村井:はい。オーケストラの方がメインテーマで、こちらは愛のテーマですね。カンヌで出会った男と女の。

田家:エピソード1の。

村井:そうですね。これねまだピアノだけですけども、今度ロスに帰ったらフランス人の男と女の歌手でフランス語の歌詞をつけて録音することになっています。

田家:歌詞もじゃあ?

村井:彼らが今書いてます。日本語の詞は長年の相棒、山上路夫さんが今作詞中です。

田家:映画化というのはもう頭の中におありになって、段取りが始まっているんですか?

村井:まだです。僕は音楽の専門家ですから、音楽はできるけど映画にするには映画の専門家にやってもらわないとできないので。

田家:でもロスにはそういうご関係の方がたくさんいらっしゃるでしょ?

村井:そうですね。まず、息子が映画監督をやっていますから彼にも相談してみようと思っているんですけど。彼は9歳でアメリカへ渡っちゃったから、これだけ厚い日本語の本を読むのは大変なんです(笑)。

田家:英訳するの大変ですもんね(笑)。

村井:とりあえず映画の台本を作るためのシナップスの英語版を作ろうと思っています。

田家:音楽はこの場面ではこういう音楽みたいなことも、頭の中におありにある?

村井:そうですね。音楽は本業ですからね。

田家:いつ頃みたいなことは言えそうですか?

村井:いやー、こればっかりは分からない(笑)。でも、こういうのって決まると早いですからね。

田家:小説の2年間ほどはかからないでしょうね。この番組がLEGENDCAFEなのでさっきもカフェの話が出ましたけども、村井さんにとってのLEGENDCAFE、思い出のカフェを1つ挙げていただくとしたらどこになりますか?

村井:さっきお話をしたラ・クポールという店です。一番よく行ったカフェで、大きさとか来てる人の多様性、世界中の人たちが来ているところが面白いです。大きいレストランの運営って大変だと思うのですがサーヴィスも大変良くて素晴らしいです。大勢で食べるとなんか元気が出てくるんですよ。

田家:当然映画の中でも出てくるわけですね。

村井:当然出てきます(笑)。

田家:分かりました、映画を楽しみにしています! ありがとうございました。

村井:こちらこそありがとうございました。



Rolling Stone Japan 編集部

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