音楽ライター下村誠の遺稿集から辿る、ミュージシャンとしても生きた軌跡

真夜中すぎの中央線 / 下村誠

田家:ここからは下村誠さんの音楽、歌をお聴きいただこうと思うのですが、2000年に出たアルバム『セイクレッド・ソウル』の中の「真夜中すぎの中央線」。ギターは真島昌利さん、ブルースハープは甲本ヒロトさん。彼はライターでありながらシンガー・ソングライター、アーティストだったんですね。経歴を見てましたら、21歳の時に西本明さん、江沢宏明さんとバンド舶来歌謡音楽団を作って、YAMAHAのポップコンにも出ていた。西本明さんは浜田省吾さん、佐野元春さん、尾崎豊さん、そういう人たちのセッションミュージシャンとしても知られていましたし、彼は長いインタビューが載っていて、そういう経緯も出ていましたね。バンドはももちゃんバンドとか下村誠バンドとか、BANANA BLUEとかザ・スナフキンとか、こじこじ楽団、アイタルミーティング。そういうバンドをライターの傍ら組んでいたんですね。

大泉:どっちが先と言うと、たぶん音楽活動の方が先ですよね。

田家:「シンプジャーナル」に入る前にYAMAHAのポップコン出てるんですもんね。大泉さんがご覧になったライブはどのへんになるんですか?

大泉:私はアイタルミーティングとソロの時なんです。だから、もうBANANA BLUEとかザ・スナフキンはバンドとしてはちゃんと見てない。

田家: BANANA BLUEというのはボブ・マーレーに傾倒して、ボブ・マーレーに憧れて、ボブ・マーレーをやりたいってことが前面に溢れているバンドでしたね(笑)。

大泉:そうですね(笑)。衝撃を受けたという。レゲエを知って、来日公演にも行って。

田家:来日公演でボブ・マーレーに会ってるって書いてましたね。ジミー・クリフとボブ・マーレーの追っかけをやっていたという(笑)。音楽を自分がやる一方でいろいろな音楽を紹介したいということでライターになったんでしょうね。

大泉:年表を見ると、16歳の時に“友だちと「フォークピープル」というミニコミ誌を作って、労音の会報誌に折り込んでもらう”となっているので、音楽に関することは何かルポ的なことを書きたいし、でも自分の音楽も作りたいしというのが中学生、高校生ぐらいからほぼ同時に始まっているんだなというのが分かりますよね。

田家:それを自分のレーベルを作ることで全うしようとしたんでしょうね。下村誠さんの音楽を曲を3曲選んでいただいたのですが、1曲目は1992年のアルバム『バナナ・ブルー・ベスト'82~'85』から「風が唄うメロディー」。

風が唄うメロディー / BANANA BLUE

大泉:BANANA BLUEの曲で、1983年『東京レゲエシーン』、リバスターから出ているものに収録されている曲ではあるんですけど、私が出会った頃はアイタルミーティングというバンドで活動をしていたんですけども、この曲をライブでよくやっていたんです。

田家:たしかにライブっぽいですね。

大泉:そうなんです。アイタルミーティングは下村さんがギターとメインボーカルで、吉田ケンゴさんがジャンベ。

田家:吉田ケンゴさんは、楽器作家、造形作家、ドーム建築研究家。ジェンベの第一人者でパチカっていう南アフリカの木の実を使った打楽器の日本版を作っている。そういう人もメンバーだった。

大泉:そうです。もう一人は尾成彩さんという女性で、彼女はボーカルでサックスを吹ける人だったので、時々サックスも吹いていたんですけど、基本的にはギターとジャンベ。

田家:『東京レゲエシーン』というアルバムはリバスターから出ているんですね。橋幸夫さんの会社ですよ。

大泉:すごくちゃんとしたスタジオで録ったという話は聞いています。

田家:あらためて思ったんですけど、彼はメジャーに行こうとしなかったんですかね。

大泉:たぶん……自分の歌いたいこと、BANANA BLUEの頃って結構、環境のこととか、歌とか。

田家:メッセージ性強いですもんね。メジャーではやれなかったかもしれない。大泉さんが選ばれた2曲目、下村誠 with ザ・スナフキン「鳥肌のアメリカ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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