音楽ライター下村誠の遺稿集から辿る、ミュージシャンとしても生きた軌跡



田家:1981年発売のシングルでした。

大泉:私は立教大学なんですけども。

田家:佐野さんの後輩。

大泉:1981年4月に入学して入って早々人間関係でちょっとトラブルがあって、すごく落ち込んだ時期があって……。「だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで」とか、その歌詞がすごい沁みて大ファンになってしまって。下村誠さんが書いた佐野元春さんに迫った著書『路上のイノセンス』も、もちろん読んでいたんです。それが最初の接点でした。



田家:流れているのはTHE ALFEEの「SWINGING GENERATION」。1986年のアルバム『AGES』に入っていました。高見沢さんのティーンエイジ・ドリームを歌った曲なのですが、『下村誠アンソロジー』はいくつかの章に分かれておりまして、「第一章 音楽ライター下村誠の仕事」、その中の最初の原稿がこれなんですね。『シンプジャーナル』1981年1月号に書いたALFEEのアルバムについての記事です。大泉さんが下村誠さんを知ったのが1990年代だった。

大泉:私がライターを始めた頃に下北沢の『しもきた情報』という情報誌で仕事をしていたんですね。その中で下北沢に関わるアーティストとか街の人のインタビューをとるページがありまして、私が担当だったんです。次の号の人選をどうしようかとなった時に、今回年表とかでお願いをした妹尾みえさんも編集部にいて、下村誠さんっておもしろい人がいるよって紹介してくださって。「ちょっと待てよ……。下村誠さんって『路上のイノセンス』書いた人じゃないの?」って。言われてみれば、『Guts』の佐野さんの記事があって、読んだことがあったんですけど、あれがもしかしたら下村さんだったのかと……実際そうだったんですけど。『シンプジャーナル』もそう言えば読んだことがある気がするという感じで、初めてお会いしたんです。

田家:この本をあらためて作るという中で、最初がTHE ALFEEの『AGES』について書いている記事なのは理由があったんですか?

大泉:どう並べたらいいだろうかと考えて、単純にあいうえお順にしようと。

田家:あ、あいうえお順か!

大泉:もちろん記事もよくて、同じ年の生まれということもあってか。

田家:下村さんが1954年生まれでALFEEの3人も同い年生まれですもんね。

大泉:同じ時代に同じものを聴いて育ってきた共通の感性というか。記事の中で、高見沢さんの言葉として「今の時代ってはっきりものを言わない方がかっこよかったり、ちょっと斜に構えている方がうけたりするでしょ? なんかそういうのってさみしいよね。僕はやっぱり歌には夢がなくちゃいけないと思うんだ」って高見沢さんの言葉を紹介しているんです。同い歳同士だから下村くんはそう言えば分かるよねっていう感じだったんだろうなって思ったんですよね。それを10代~20代の読者にどういう言葉で伝えればいいのかすごく一生懸命書いている感じを受けて。あいうえお順というのもあるんですけど、この本に載せたいと思う記事を選ぶ目安になった感じがします。

田家:下村さんが残しているアルバムの一枚に『ホリー・バーバリアンズ』という作品があって、ライナーに彼が自分の手書きで「僕の中のセブンティーズ」っていうエッセイを書いていて、70年代は僕の先生と言って過言ではなかった。THE ALFEEの3人が全くそうですからね。そのライナーの中には「戦争を知らない子供たち」の時が15歳で、そこから五つの赤い風船や吉田拓郎に始まり洋楽にいって、ディラン、ニール・ヤング、ジョン・レノン、ジミー・クリフとボブ・マーレー。いろいろなアーティストの名前が書かれていて、生き方全てが彼は70年代の子どもなんだなとあらためて本を読んで感じたことでもあるんですね。「下村誠の仕事」の章の記事の中から、大泉さんに3曲選んでいただきました。まずはこの曲ですね。白鳥英美子さん「NOTHING COMPARES 2U」。

Rolling Stone Japan 編集部

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