J-POPの歴史「1994年と95年、アーティストと時代の転機になった90年代半ば」



1994年3月発売、福山雅治さんの「IT’S ONLY LOVE」。初めてのシングルチャート1位の曲ですね。
アルバムチャート1位を取ったのは前の年、93年度の5枚目のアルバム『Calling』だったんですね。「遠くへ」っていう、シンガーソングライター福山雅治の原型みたいな曲が好きだったんで、先週お届けしようかなと思ったんですが、やっぱりこっちの方がメジャーだなと思って、今週この曲をお聴きいただくことにしました。

90年3月に「追憶の雨の中」でデビュー。ただ、当時はまだアルバム全曲自分のオリジナルではなくて、全曲自分の作品になったのが92年の4枚目のアルバム『BOOTS』なんですね。『Calling』とか「IT’S ONLY LOVE」の入ったアルバム『ON AND ON』はアメリカで作業するようになって、アレンジに元サディスティック・ミカ・バンドの小原礼さんが加わったりしてた。アメリカンポップスをいろいろ聞きあさっていた。「IT’S ONLY LOVE」はJ.D.サウザーの「ユア・オンリー・ロンリー」って曲がモチーフになったと言ってましたね。

役者として売れましたけど、やっぱり彼は音楽をずっとやろうとしてた。アーティスト志向なんだなとその頃思いました。「IT’S ONLY LOVE」のカップリングの曲「SORRY BABY」はSIONの曲なんですね。そういう意味では、彼はちゃんと自分のルーツを見せながら活動しているシンガーソングライターだなと今でも思います。

自分のルーツをどう消化するかって意味では、この曲の入ったアルバムは傑作だったんではないでしょうか? 94年6月発売、ORIGINAL LOVE『風の歌を聴け』から「朝日のあたる道」。



1994年 4月発売、ORIGINAL LOVEの「朝日のあたる道」。アルバム『風の歌を聴け』からシングル発売されました。アルバム『風の歌を聴け』はアルバムチャート1位でした。ソウルミュージックのグルーヴとラテンのパーカッションとジャズがミックスされてる、とっても風通しの良い傑作のアルバムがこれでしたね。ORIGINAL LOVEは当時、渋谷系の代表みたいに見られてたんですね。このアルバムが出た後のツアーの最後が渋谷公会堂だったんですが、そのステージで田島さんは「俺たちは渋谷系じゃねぞ」と叫んでおりました。彼は元々パンクバンド出身だったわけで、反骨心の持ち主。渋谷系自体が世の中で流行ってる音楽に背を向けてるような人たちが始めたとも言えるわけで、そういう反骨の人たちが作ったムーブメントが世の中の主流になっていく。90年代もそんな時代でありました。



1994年5月発売、中島みゆきさんの「空と君のあいだに」。両A面シングルで、もう1曲が「ファイト!」でした。この曲がシングルチャート1位になったんですね。70年代の「わかれうた」、80年代の「悪女」に続いて、70年代80年代90年代で1位になった、最初のアーティストになりました。これはドラマ『家なき子』の主題歌でしたけども、翌年95年に『家なき子2』が放送されて、この主題歌「旅人のうた」もミリオンなんです。2作続けてミリオンになりました。

90年代が黄金期だというのは、セールスの数字だけじゃないんですね。それぞれのアーティストの代表曲がこの時期に集中してる。そしてそのアーティストのクリエイティビティ、創作意欲というのが最も旺盛だったと思える時期がこの頃なんですね。

みゆきさんの「空と君のあいだに」と『家なき子』は「わかれうた」とか「悪女」のような女性の歌じゃなかった。女歌、振られ歌じゃない。「僕」が主人公になってる。つまり男性でも女性でも主人公っていうような、いわゆる「人間歌」という新しい扉を開けたと思いました。

みゆきさんは89年から「夜会」を始めてます。「夜会」は当初、世の中に出ている曲を並べてる形だったんですが、だんだんオリジナル度を増してきて、94年の「シャングリラ」、こっから脚本がオリジナルになった。95年の「2/2」っていうのは脚本も曲も全部がオリジナルになった書き下ろしの演目だったんですね。「夜会」の一つの完成形でしょう。そういう意味では、みゆきさんの活動は94年95年に明らかに転機を迎えている。そういう時期が90年代だった。この人たちもですね、95年が転機なんですね。95年4月発売、スピッツの「ロビンソン」。

Rolling Stone Japan 編集部

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