J-POPの歴史「1994年と95年、アーティストと時代の転機になった90年代半ば」



1994年6月発売、Mr.Children「innocent world」。5枚目のシングルですね。こんなに清々しくて、こんなにまっすぐでよどみのないロックがあるんだ。人生の岐路っていう、誰もが思い当たる場面をこんなふうに歌った。この曲が年間チャート1位ですよ。90年代はいい曲が売れた時代でもあるんですが、そういう時代を象徴してますね。この歌が1位だったっていうのは94年がいかにいい時代だったかという表れでもありますね。

彼らを初めて見たのが、デビューシングル「君がいた夏」の後の日清パワーステーションだったんですが、当時の印象を「パワステ新聞」に書いてるんですね。なんだこの胸騒ぎはって。何か今までと違うものが始まってる、聞いたことない音楽を聞いてる気がするってことが、そういう言葉になったんだと思うんです。彼らはビート系全盛の中でこういう音楽の旗を上げてくれた。プロデューサー小林武史さん。さっきの桑田佳祐さんとMr.Childrenが小林さんのプロデュースで、95年1月にチャリティーシングル「奇跡の地球」という曲を作りました。「奇跡の地球」も170万枚の大ヒットだったんですね。この「innocent world」はレコード大賞に出場しないで受賞した最初の対象曲になりました。



94年2月、シングル発売。B'zの「Don't Leave Me」。アルバムは3月に出た『The 7th Blues』の中の曲ですね。アルバムチャートが3週間続けて1位で、2枚組アルバム史上最初のミリオンアルバムになりました。

B'zのデビューは1988年で、90年の5枚目のシングル『太陽のKomachi Angel』が初めて1位になった。そこからずっと1位ですね。1位の獲得数とかセールスの売上額とか、ほとんどの生涯記録を独占しておりますね。『RISKY』の後の渋谷公会堂で彼らを初めて見たときに、打ち込みのダンスユニットじゃないんだ、ロックバンドなんだと思った。そういうイメージが強かった。彼らがそれまでのいろんなイメージをかなぐり捨てた。本性をむき出しにしたアルバムがこの『The 7th Blues』だったんじゃないでしょうかね。「Don't Leave Me」聴いたときは「おお!」って言いましたからね。

92年のアルバム『RUN』のときのインタビューだったと思うんですが、稲葉浩志さんがアメリカから帰ってきて、アメリカインディアンの話をしてたんですね。稲葉さんそういうところに関心を持ってるんだと思って、この『The 7th Blues』が出たときは拍手でありました。松本さんの全貌っていうんでしょうかね。松本さんがどこを見てるのかが、これでバーっと見えてきて、B'zの90年代はすごいぞと思った記憶があります。モンスターバンドの快進撃が90年代、そして2000年代、今でも続いております。

この年初めてシングルチャート1位を獲得した人の曲をお聴きいただきます。94年3月発売、福山雅治さん「IT’S ONLY LOVE」。

Rolling Stone Japan 編集部

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