海野雅威がジャズピアノの歴史と向き合う理由「スタンダードを知らずに自分の曲は書けない」

 
マルグリュー・ミラー、シダー・ウォルトン、ジェイムス・ウィリアムス

―海野さんの同世代は、マルグリュー・ミラーに影響を受けた人も多いと思います。

海野:別格ですよね。彼がいなかったら現代ジャズはない。グラスパーはもちろんみんな尊敬していますし。そこは演奏だけじゃなくて、彼の人柄もありますよね、神様みたいな人だったから。僕がNYに渡る直前にロン・カーターのトリオでマルグリューがブルーノート東京に来日していて、もうすぐ渡米するんですって楽屋でお話したんですよ。そしたらそれ以来NYで会う度に優しくしてくれて。ある時スモールズのライブでマルグリューを聴いたあとに、「今日は来てくれてありがとう。NYの街は君をよくトリートしているかい? そういえば、なんて名前を呼ばれるのが好きかな? タダって呼んでもいい?」ってわざわざメールまで頂いたことがありました。あの憧れの大先輩がですよ!

マルグリューに聞くと彼もNYで最初の頃は馴染むのに大変だったそうで、僕の事も心配してくれていたんです。若くして亡くなってしまったけど(2013年死去)、実年齢以上にマチュアな人でした。感覚的には80〜90代っていうか。ロイもそういう人で、49歳で亡くなったけど(2018年)、60〜70代のように達観している人だった。僕はハンク・ジョーンズ、フランク・ウェス、ジミー・コブ、ジュニア・マンスのような90代のレジェンドと演奏したり交流してきたので、マルグリューやロイがすでにレジェンド達のように達観していてマチュアだったことがよくわかるのかもしれません。ピアニストとしても、マルグリューのまろやかで熱くて温かいタッチはピカイチでした。今でも亡くなったことに泣いちゃいますもんね。



―マルグリューは伝統的な部分を引き継ぐってことを最も体現していたピアニストの一人ですよね。80年代にアート・ブレイキーやウィントン・マルサリスと一緒にやっていたピアニストはいかがですか? 例えばサイラス・チェスナットとか。

海野:サイラスはタッチが特に好きです。タッチが綺麗な人が好きなんですよね。あと、ジェイムス・ウィリアムスも大好きです。コンポーザーとしてもバンドサウンドとしてもご機嫌ですし、彼のゴスペルが堪らないです。あの世代のピアニストって、マッコイ・タイナーの影響がすごく入っていて。その中でジェイムスの特徴はブルースやゴスペルを弾いた時の奥深さにあって、シンプルにポンっと弾いた時に「ああ!」ってなっちゃう。



―ロイ・ハーグローヴもジェイムスの曲を取り上げていましたし、彼は作曲家としても特別でしたよね。

海野:「Alter Ego」ですよね。ロイはピアニストの曲を好んで取り上げるところがあって、そこも彼のバンドが楽しかった理由の一つですね。ジョン・ヒックスの「After the Morning」やシダー・ウォルトンの「I’m Not So Sure」をやるときはピアノをフィーチャーしてくれるので、ロイを通じてジョンやシダーの精神を感じることができました。ラリー・ウィリスやロニー・マシューズなど、かつてロイのバンドを支えた先輩のレジェンド達の曲もよくやってましたからね。

―シダー・ウォルトンはどんなところが好きですか?

海野:シダーはソロで流れるようなフレーズを紡ぐんですよ。クラシカルとも言えそうなくらい完成されたものに聴こえます。彼はトータルでバンドサウンドを考えていたんですよね。ビル・エヴァンスと比較すると、ビルは管楽器がいる編成ってそんなに好きじゃなかったと思う。ピアノがリードして構築していく、自分でテーマを取ってソロって感じのインタープレイが好きだったと思うんです。でも、シダーの音楽は管楽器がいるのがスタンダードになっているところがあって。そこはもしかしたらアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの流れかもしれない。音楽の構築の仕方として、管楽器が聴こえてくる曲をいっぱい作っていましたから。

―実際、彼の録音にも管がいますしね。

海野:サックスのボブ・バーグとかね。僕は新しいアルバムに、シダーに捧げる「Cedar’s Rainbow」という曲を収録したのですが、ここには彼のいろんな曲の要素が混ざっています。最初にシダーの曲を好きになったのは「Firm Roots」と「Holy Land」、ロイとよくやっていたのは「I’m Not So Sure」。シダーの奥さんから名前を取った「Martha’s Prize」もいい曲ですし、好きな曲は数え切れないですね。





―シダー・ウォルトンと近い世代だと、ハロルド・メイバーンはどうですか?

海野:ハロルドはメンフィスの誇りを持っていた人で、彼の弾くブルースはメンフィスのブルースそのものでした。ブルースに精通した人が聴くと、すぐにどこの地域のブルースかわかるものなんですよね。その人の地元の音になるので、マルグリュー・ミラーが弾いてもメンフィスのブルースになる。みんな地元に誇りを持っていて、「俺はここから来たんだ」っていうローカル性を提示するんです。それはフィニアス・ニューボーンやドナルド・ブラウンも同じで、何を弾いても彼らからはメンフィスの香りがする。ハロルドはコンピングの達人でもありましたから、リー・モーガンやジョージ・コールマンなど彼を手放さなかったリーダーも多くいます。シダーもハロルドも亡くなってしまいましたが、彼らと交流する事ができて人柄に触れられて本当によかったです。




ジョージ・コールマン(Sax)と海野の共演写真

―アート・ブレイキーのバンド出身者はメンフィス人脈が多いですよね。

海野:ジェイムス・ウィリアムスの周りのグループですよね。マルグリューもそう。一緒に成長し合った仲間なんですよね。当時、例えばマルグリューが新曲を作ると、ジェイムスがライブでその曲を早速やっていたり、その逆もあったそうです。みんなでハングアウトして、「最近何やっているの?」と見せ合ったりして、他の人がライブでやったりするんですよ。盗られたとかじゃなくて、ライバルどうしで互いに高め合う。今でもジェイムスがミュージシャン同士の関係性を変えたって、ある年代より上のミュージシャンは言います。コンペティティブ(競争的)なジャズ界で、友情関係の素晴らしさを感じさせてくれて、その中心にいたのが彼だった。もしかしたらジョージ・ケイブルスと僕の関係も当時でいうと似たような関係かもしれません。

―ジェイムスがリスペクトされている感じって、日本にいるとわかりづらいけど、海野さんの話を聞くといろいろ納得しますね。

海野:僕はNYでジャズの学校に行ってはいませんが、次第に受け入れてもらえました。最初は人脈を作るのに時間はかかりましたが、お会いできなかったけれど、ジェイムス・ウィリアムスのようなあたたかい人がいたから、彼のような心ある人のあたたかさに支えられたのだと思います。

―アフリカ系アメリカ人寄りのジャズコミュニティに、ってことですよね。

海野:そう。それが僕のやりたかったことですから。

Tag:
 
 
 
 

RECOMMENDEDおすすめの記事


 

RELATED関連する記事

 

MOST VIEWED人気の記事

 

Current ISSUE