海野雅威がジャズピアノの歴史と向き合う理由「スタンダードを知らずに自分の曲は書けない」

 
アーマッド・ジャマル、ロイ・ハーグローヴ、ブラッド・メルドー

―その流れでいうと、フィニアス・ニューボーンはどうですか?

海野:もちろん大好きです。ただ、フィニアスは聴くと気分が重くなってしまう時期の演奏もあって。精神的にやばい時期のバド・パウエルを聴いている感覚と重なる部分があります。フィニアスは若い頃のキラキラしている演奏がアメイジングで、今でもあんなのできる人いないだろうなって思います。オスカー・ピーターソンがアート・テイタムの系譜を引き継いだってよく言われるけど、僕に言わせると真の後継者はフィニアスじゃないかと。引き継ぐっていうのは大事な精神を引き継ぐって話で、演奏の形やスタイルを真似るわけではないですからね。逆にオスカーは、フィニアスのオクターヴ奏法を研究していましたから。フィニアスのオリジナリティは輝いていました。

だから、その意味でオスカーのハイブリッドぶりはすごい。エロル・ガーナーも入っているし、デューク・エリントンやカウント・ベイシーも入っているし、なんとビル・エヴァンスまで入っている。以前、モンティ・アレキサンダーとそういう話になったんですよね。ある時期からオスカーの弾くコードに明らかにビルのコードワークの影響を感じるって。ドイツのMPSからリリースしていた頃のクリアな音になってくる時期ですね。オスカーも常にずっと変化していたんですよね。




モンティ・アレキサンダーと海野

―そのモンティ・アレキサンダーはどんなところが好きですか?

海野:みんなオスカーが推して出てきたと言うけど、どちらかといえばナット・キング・コールやアーマッド・ジャマルの系譜だと僕は思います。脈々とジャズの歴史に根差しながら、モンティならではのカラーがある。ちょっと聴けば誰の演奏かわかるっていうのが、僕にとって最高のピアニスト(の条件)です。表面的な特徴ではなくて、深い音から感じるその人の個性って意味です。ジャマルっぽい、オスカーっぽいとか、エロル・ガーナーっぽいとか探ろうと思えばルーツは探れるけど、「モンティ節」みたいなものがある。モンティのスイング感はウィントン・ケリーにも勝るとも劣らない最高のノリで惚れ惚れしますね。そこは彼らにジャマイカのルーツがある事も関係あるのでしょう。僕はロイ・ハーグローヴのツアーでモンティとヨーロッパで同じような地域やフェスを周っていたので、同じホテルに偶然滞在したり、ライブを聴き合ったりと仲良くなりました。僕の大怪我で心配して真っ先に電話をくれたのもモンティでしたし。

あと、好きなピアニストで忘れちゃいけないのがアーマッド・ジャマルですね。



―やっぱり!

海野:(今年4月に)亡くなって本当にショックです。僕はジャマルを聴きたいがためにジョージ・コールマンとの仕事の機会を蹴って、サンフランシスコに飛んで、SF JAZZで3日間聴いた思い出もありますから。レジェンドに対しては、行かなかったら絶対に後悔するって思いが常にあって。2008年に渡米した一番の理由もそれなんですよ。ちなみにジョージ・コールマンとはつい先日にNYのスモークで4日間のギグに呼んで頂きようやく初共演が叶いました。


海野とジョージ・コールマンの共演(2023年6月4日、NYのスモークにて)
「メンバーのピーター・バーンスタイン、ジョン・ウェッバー、ジョージ・コールマンJr.の推薦で、88歳のジョージ・コールマンからオファーを頂き、初共演できた夢のような時間。休憩中も休みなく音楽談義、貴 重な歴史について話してくれたジョージの目はキラキラと輝き、まるで少年のようでした」

―ジャマルはどんなところがすごいと思いますか? 僕らの世代だとヒップホップの有名な曲にサンプリングされているっていうイメージですが。

海野:ジミー・コブが教えてくれたのは、マイルスはジャマルが聴きたいがためにシカゴのギグを入れて、さらに延泊して滞在を延ばしたりしていたそうですよ。自分が仕事をしていたら聴けないので。マイルスはジャマルの目の前でずっと聴いていたそうです。その上、自分のバンドのピアニストになってもらいたくて何度もジャマルを誘っている。結局断られてしまうのだけど。だから、マイルスってすごくピュアな音楽ファンだと思います。元々お姉さんがジャマルを先に知って、マイルスに「あなたも好きだと思うよ」って紹介したのがきっかけだったみたいですね。

―マイルスって意外と素直ですよね。妻のフランシスから「フラメンコを聴いて」と言われて「Flamenco Sketches」(『Kind of Blue』収録)が生まれたりとか。

海野:トニー・ウィリアムスに影響を受けたり、世代の違う若い人の感性を信じたり、すごくピュアですよね。



―マイルスはなぜそこまでジャマルにハマったんだと思います?

海野:一言で表現するとユニークだからでしょうね。誰もやっていなかった演奏方法だし、ヒップですよね。ダンスミュージックだからサンプリングされるのもわかります。イスラエル ・クロスビーとヴァーネル・フォーニアとの黄金のトリオは一体感があって、ピアニストは常に音を弾いて何かを構築するっていうのがスタンダードになっていたなかで、ベースとドラムに任せてピアノは弾かないで踊れるっていうのがジャマルのコンセプト。そもそもセンスの塊だから、一般的に「こう来たらこう来るだろう」っていうのをことごとく裏切ってくれる。常に想像力を掻き立ててくれるピアニストですよね。

僕はジャマルのベーシストだったジェイムス・カマックと、日本でも一緒にツアーしたり仲がよくて。彼からジャマルの話をよく聞かせてもらいましたが、コンサート(の映像)を観ていても、メンバーを翻弄しているんですよ。リーダーが誰にも予想できないことをやっている。そこにジャズの一番のフレッシュネスがあると思います。リハをやればいいっていうものではなくて、リハをやればやるほど、どんどんジャズの精神から遠ざかっていくっていうことにも通じます。さっきの『Kind of Blue』の話にしても、メンバーが何も聞かされてなかったのはリハをしなかった話にも通じますし。ロイ・ハーグローヴの『Earfood』も実はそうやって録られたんですよ。

―リハをほとんどしてなかった?

海野:その場でリーダーのロイがピアノをちょっと弾いたり、あとは(トランペットで)メロディを吹いたりしたのを、みんなが必死になって「今の曲は何?」みたいな感じで聴きとって、ロイが「できるようになったか?」って。ロイのバンドはリハも譜面もゼロ。「じゃあ、ちょっと試してみようか」ってみんなが録ったら、それがもう本テイクだったんです。

―でも、『Earfood』って完成度が高いですよね。

海野:あのバンドってワーキングバンドで、 LAのキャピトルスタジオに昼間入ってレコーディング、夜はカタリーナで毎晩演奏していたんですよ。だから、ツアーやその時のライブでやっている曲もレコーディングしている。「Strasbourg / St. Denis」みたいに彼らにとってはすでにライブで演奏して馴染みのある曲もあったけど、曲によっては本当にその時に初めてだったみたいですよ。僕のベーシスト、ダントン・ボーラーからこの辺りの話は詳しく聞いているので、僕も知っています。




ロイ・ハーグローヴと海野の共演。2018年4月10日、パリのNew Morningにて(Photo by Pascal Martos)
「ロイが最も愛したライブハウスは、間違いなくここパリのNew Morningでした。年に何度も連日ここで演奏し、熱狂的なファンを沸かせました。そして、2018年10月15日、ロイの生涯最後の演奏がこの場所だったのも何かの縁でしょうか。ロイのコンピングをしているだけで私はとても幸せでした。この写真はその雰囲気がよく出ていると思います」

―ロイ・ハーグローヴといえばディアンジェロやRHファクターの印象がありますが、実は大ベテランのレコーディングにも参加してるような人でもあるんですよね。例えば、オスカー・ピーターソンとも『Oscar Peterson Meets Roy Hargrove And Ralph Moore』で共演しています。

海野:はい。そこがロイの真骨頂の一つでもあるわけです。ソニー・ロリンズやオスカー・ピーターソンのようなレジェンドからも、ロイはデビュー当時から共演を望まれてきました。オスカーの場合は、サックスのラルフ・ムーアがその界隈に溶け込んでいて、オスカーともロイより先に繋がっていて。ラルフはロイの先輩だったので、彼をフックアップしてあげたみたいです。オスカーも事前に何やるかわからない人で、彼がエレピか何かを自宅で弾いたデモテープみたいなのをラルフが持っていて、それを聴かせながらロイに教えていたらしいです。何の曲をやるのかロイがわからなかったから。


ロイ・ハーグローヴと海野の共演。2018年3月17日、モスクワのTriumph of Jazz Festivalにて(Photo by Olga Karpova)
「今では演奏で訪れていた事が信じられないモスクワでの演奏。極寒の中での忘れられないライブです。あの時出会った人は元気だろうかと、その人達の顔が浮かびます。一刻も早い戦争の終結を願います」




ジョン・ピザレリと海野、2022年5月22日にブラジルのBelo Horizonteにて(Photo by Julio Mello)
「ロイが亡くなった後、メンバーに誘ってくれたギターレジェンドのジョン・ピザレリとのブラジルツアー。ユーモアと疾走感溢れる演奏で聴衆を魅了するリーダー。ジョンとの共演はいつも最高に楽しい経験です。ジョンとマイク・カーンとのトリオで世界中を廻りますが、かつてロイとも演奏した地域や会場も多く、思い出がフラッシュバックし、ノスタルジックな想いがいつもあります」

―さっきから、海野さんにしかできない話ばかりですね。

海野:当事者と直接演奏して交流していますからね。この話はロイから直接聞いていますし、ロイが亡くなった後に僕がラルフとツアーした時に彼からも聞いています。いろいろな人からダイレクトに歴史的な話もたくさん聞いてきたので、いつかは本にでも書いた方がいいかもしれないと思う話ばかりです。ところで、話は変わりますが、ジミー・コブの話だと、ジミーのバンドにギターのピーター・バーンスタインや、ベースのジョン・ウェバーがいる時、僕は前任のピアニスト、リチャード・ワイアンズやブラッド・メルドー役だったらしいです。あっ、彼らはこういう気持ちだったのかと感じられたのは嬉しい経験でした。

―海野さんは世代的に、メルドーど真ん中でもおかしくないですが。

海野:正直、みんなが騒いでいた頃はちょっと引き気味でしたね。でも、NYに行ってから、ジュニア・マンスの家に行って話していると「メルドーは素晴らしい」と言うんです。「俺の教え子のなかでも最高に優秀な生徒だった」って。

ジュニアが教えていたのってブルースのクラスなんですよ。一般的にメルドーはブルースを弾くイメージではないと思うけど、そんなことなくて。ビル・エヴァンスの「My Foolish Heart」の話と同じで、メルドーの演奏のところどころにブルースを感じるんですよね。ここで僕が言ってるブルースって、単なる「12小節のブルース」とかそういう単純な意味じゃなくて、曲の中にソウルを感じるかって意味ですけど、メルドーにはそれがある。NYに渡ってから好きになりましたね。

―歳を重ねて、バラード中心のアルバムでブルースをやってたりもしますしね。

海野:時代を切り拓く人として、どこか気負っていた部分があったのかもしれないですしね。今のメルドーの方が僕には自然に入ってきます。


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