Borisと明日の叙景が語る、連帯関係と届けること、Merzbowとの交流

Boris(Photo by @vvvydmy)

前編に続き、Borisと明日の叙景の対談をお届けする。後編となる本記事では、7月19日のBoris with Merzbow単独公演に絡めた国内シーンの話や、欧州ツアーを経た明日の叙景メンバーの意識の変化、ジャンルの枠や世代を越えて繋がり届けることなど、前編とはまた別の興味深い話題が満載になっている。特に、全編を貫くDIY(Do It Yourself)姿勢の話は、メタルとか音楽といった枠を越えて多くの人に訴求するのではないだろうか。今後の展開に思いを馳せつつお楽しみいただけると幸いだ。

【写真を見る】Boris、明日の叙景、ツアー中の写真

・Merzbowとの交流、活動を繋いでいくこと

ーそれでは、ここからは日本での活動についてもお聞きします。まずBorisは、7月19日にBoris with Merzbow名義での共演ライブがありますね。こちらが日本でも実現した経緯はどんなものだったのでしょうか。

Atsuo これは、ヨーロッパツアー中でしたね。秋田さん(Merzbow=秋田昌美)とやるタイミングって、自分たちが仕上がってる時というか、けっこうピークにいるような状況でやることが多くて。それで、アメリカ行ってヨーロッパ行って、セットリストの流れもあって、ここで今一度やろうってことになりました。

Takeshi 最後にやったのが3年前のオーストラリア(2020年2月29日、メルボルン)。日本は5年ぶり(2018年5月8日の代官山UNIT以来)になりますね。

ー自分は2014年6月24日のDOMMUNE現場(渋谷東の旧スタジオ)で観ることができたのですが、爆音の限界に挑みつつ美しい音響を実現するような、本当に凄まじいライブでした。今回の共演は、そちらとも2020年のスタジオ作(『2R0I2P0』)とも違う感じになるのでしょうか。



Atsuo 全然違いますね。コロナ以降の、Heavy Rock Breakfastセットからの流れになるかと。(等力と布に向かって)来てね(笑)。

布 行きます! 等力はMerzbow好きだよね。

等力 そうですね。最近またリマスター盤で聴いてます。古典的ですけど、『PULSE DEMON』あたりはやはり好きですね。



ーBorisとMerzbowは何枚くらい一緒に制作されてきましたか。

Takeshi 最初の共演が1997年のライブ(1月25日、高円寺20000V)で、音源としては、『Megatone』(2002年)、ライブアルバム(『04092001』2005年)、『Sun Baked Snow Cave』(2005年)、『Rock Dream』(2007年)、ビートルズとクリムゾンのカバー(『Warlus / Groon』2007年)、『Klatter』(2011年)、『現象』(2016年)、そしていまだに読み方がわからないアルバム(『2R0I2P0』2020年)ですね。

一同 読み方わからない(笑)


左からBoris、Merzbow

ー過去のインタビューを読むと、秋田さんに昔のロックを教えていただいたという話も出てきます。

Atsuo そうですね。何度も遊びに行かせていただいて。『Megatone』の時も秋田さんのお宅に行ってレコーディングしてたし、帰りの道中でアメリカの同時多発テロのニュースを聞いた。その前後に70年代のヘヴィロックをたくさん教えていただきました。膨大なラインナップを次々にターンテーブルに乗せていただいて、生のレコードをどんどん積まれていく。当時、Second Battleというブート再発専門のレーベル(ドイツ拠点)があって、気に入ったのはNight Sunとか、Hairy Chapterとか。かなり隅っこのほうですね(笑)

Takeshi あと、Spooky ToothとかJaneとか、そのあたりも。

Atsuo そうやって聴かせていただいたものが、Boris自体の方向性にもかなり影響を与えましたね。

ーそういったハードロック方面とはまた別に、秋田さんは先鋭的なブラックメタルやデスメタルも聴き続けているという話もインタビューではよくお見かけします。

Atsuo そうですね。本当にすごい。

ー双方との関わりが深いSunn O)))などもそうですが、伝統的なメタルの枠からは外れているけれどもシーンと密接に関わってきたバンドがいくつもあって、そこになかなか光が当たらない期間が長かったのが個人的にはもどかしく思えていました。しかし、最近はそういう状況もかなり変わってきたような気がします。

Atsuo 大きい括りのメタルね。俺らもメタルなんだな、という自覚が本当にここ最近できてきて。和田くん(本記事の筆者、『現代メタルガイドブック』監修・執筆)のおかげかもしれないけど(笑)

一同 (笑)

ーいえいえ(苦笑)。

等力 でも確かに、ちょっと話は脱線しちゃうかもしれませんけど、Borisがメロイック・サインをやるのが意外だったというか。ツアーでみんながサイン掲げてるのを見て面白いなと思ってました(笑)みんなで写真を撮るとき、わりとメロイック・サインなんだ、そこに意味があるんだなと思いました。

Atsuo Heavy Rocks(2002年)の頃からかな。メロイック・サインも、自分たちが「Yeah!」と言うようになった頃から登場し始めた印象があるかな。

布 スタン・ハンセンもメロイック・サインしてますよね。

Takeshi あれは違う(笑)。あれはテキサス・ロングホーンなんで。

布 あれも悪魔のツノ的なアレだと思ってたんですが(苦笑)。

Takeshi 違う、形は似てるけど文脈が違う(笑)。

布 勉強になります(笑)


明日の叙景

ーただ、プロレスとメタルも伝統的にすごい近いところにある印象はありますね。

Takeshi うん。

Atsuo 僕らも『あくまのうた』(2003年)ってアルバム出してるけど、悪魔っていうものの僕らにとっての意味合いは、日常を異化したりとか、変化を訪れさせるものの象徴みたいなニュアンスが強いですね。



ー「Yeah!」についても、2002年版『Heavy Rocks』をリリースした頃、活動10年目にしてロックの“空気を切り裂く一言”としてのYeah!を言えるようになったというお話はよく伺います。いろんな方向から繋がるように思えますね。


Atsuo そう。挨拶みたいなもんですよ。

ー世代を超えた共通言語みたいなものですね。

Atsuo そうですよ。明日の叙景ってENDONよりも下の世代だよね。

等力 ひと回り歳下ですね。

Atsuo だから、僕らにしたら、ENDONをアメリカに連れてったり、他の日本のアーティストとのスプリットを海外でリリースする架け橋になったり、もっとごちゃ混ぜにしたいんですよね。

Takeshi 触媒ですね。

Atsuo だから、こうやって繋がっていくんだなと思いますね。本当に縁とフレンドシップだけでやってきたので。それでいて、パーティー・ハードがないからツアーが楽というのもあるね。海外でも。

等力 確かに! Borisと明日の叙景の相性が良いなと思ったのは、お互い淡々としてるんで(笑)いい意味で。

一同 (笑)

等力 もちろんウェットな部分もありますけど、ライブ終わっても「次のライブは」みたいな、ツアー終わってからも双方そのまま制作に移行とか、そういうドライな感じがお互い良いなと思いますね。

布 「先輩の酒が飲めねぇのか」みたいなのがない(笑)

等力 そういうバンドマンイズムみたいなのが出てこないので、そこはすごいありがたいです。

Atsuo 僕らはもともと海外での活動が多いから、日本のそういう先輩後輩関係みたいなのもあまりなくて。それから、女性のメンバー(Wata)もいるから。ま、でも根性論は言うかな。根性論でしか行けないからね長期の海外ツアーなんて。

一同 (笑)

布 大事なことは最終的には言語化できないんじゃないか、最後は言葉じゃない部分で行かなきゃいけない、というのは感じますね。

Atsuo そう。ロックって、「のるかそるか」じゃなくて「のるしかない」から。明日の叙景がのってくれたのはすごい良かった。生きて帰れたのも良かったね。

等力 そうそう、大ごとにはならなかったんだけど、交通事故もありまして。ロンドンの田舎道で、前の車が急ブレーキして僕らの車が突っ込んじゃって。で、うちの車も急ブレーキしたので物とかいろいろ落ちてきたんですけど、車自体は大丈夫だったんですね。ただ、後ろの車が玉突き事故起こして潰れちゃって、救急車来るみたいな展開になって。そこで「俺らのツアーは終わるかもな…」と思ったら、意外にすぐ返されて(苦笑)。あれは人生の中でも本当に「終わったな」と思った瞬間の一つでしたね。

布 360度見渡しても、森と平原だけだから。

等力 何もない空間に人が倒れてるような状況でした。

Atsuo ツアードライバーもプロなんだけど、こういうこと起こるんですよ。うちもヨーテボリ(スウェーデン)で、ものすごく用心してバンを駐車してたんだけど、少し経って戻ったらドリルで穴あけられて車上荒らしに遭ったし。(ツアーから)生きて帰れて良かったね、って本当にその言葉が象徴してると思いますよ。

布 物販担当で、Dog Knights Productionをやっているダレンという人が、ツアー最終日に「これだけ何も大きな問題がなくて、普通は10人か20人しか入らない会場もザラにあるものなのに、明日の叙景はヘッドライナーでたくさん入ってる。大成功だと思うよ。」って言ってて。物販は売れ残っちゃってペイしない感じだったんですけど。

Takeshi 一箱忘れてったでしょ? イタリア(一緒に回った最後の会場)で。

一同 (爆笑)。

Atsuo 明日ロングドライブなんで先に帰ります、って言っていなくなって、そしたらマーチテーブルに物販の箱が一つ残ってて。うちのドライバー兼ツアーマネージャーが「やつら一箱忘れてった」って、ボソって言ってた。

Takeshi それで、その箱の中から「Takeshiはさっき明日の叙景のマーチもらってただろ?他のメンバーの分はここから取ってあるから」って。

等力 今日帰ったら連絡します(苦笑)。

布 連絡します。

Atsuo ツアーはね、終わってからも大変なんですよ。

等力 清算が大変で。

Atsuo なんか全部言いたいよね。トラブル自慢大会したい。

布 ツアーやるのはこれだけストレスだし、これだけ大変なんだよっていう。

Atsuo 総じて楽しいんだけどね。

−こういうお話を聞くと、ツアー生活に疲れたからミュージシャン辞めるという人の気持ちが窺われますね。

Atsuo 確かにバンド解散の理由としては多いかも。

Takeshi いろんな手続きとかも大変で、細かい届出みたいなのをすっ飛ばすこともできるんだけど、あとあとツアーの規模が大きくなった時のことを考えると、今からちゃんとやってノウハウを持ってたほうが絶対に後に繋がるよね。

Atsuo ツアーマネージャーとかツアードライバーがあっちでは職業として成り立ってて、アンダーグラウンドなシーンだけど堅実にツアーライフを送っている人たち、そういうカルチャーを営み、育んでいる人たちが世界中にいて。音楽のジャンルとかじゃなくて、同士とかファミリーみたいな繋がりがあるんですよね。コミュニティとして。それで、サポートバンドと一緒にツアー回ると家族みたいな感じになったりとか。音楽って、それ単体としての概念だけじゃなくて、音楽を軸とした生き方や、それを共有できる人たちが世界中にいる。それがカルチャーを作っていくという感じですね。

ー実際にあんなコアな音楽性で活動を続けられているBorisが言うと、すごい説得力がありますね。

Atsuo いや、苦労は多いからね(苦笑)。

布 それでも、Borisは音楽一筋でちゃんと生計も立てて、自分たちの存在を文化の一つとして、杭をバーンと打つように刻んでいて尊敬します。

Takeshi 本当にみんなのサポートと、人との縁のおかげ。

Atsuo 等力くんにはツアー中に言ったんだけど、僕らをサポートしてくれる人たちを明日の叙景にも引き継いでほしいという思いもあったし。どんどん次の世代にも引き継いでいって。

等力 ツアーしている時にふと思ったのが、対バンイズムの是非というか、対バンって感覚はあまり良くないのかなということで。自分もツアー行く前は「明日の叙景、やってやるぜ!」と思ってたんですけど、実際にBorisと一緒に毎日ライブやってると、「2バンドで盛り上げるぞ!」というふうになってくる。お互いやることやって、1日をいい感じにする、みたいなのって大事だなと思ったんですね。誰が一番イケてるかみたいな闘争心も必要かもしれないけど、なんかそういうのじゃないな、と感じました。

布 「このイベントでは、この日こいつらが一番ヤバかった」みたいなのじゃなく。

等力 そう。それで、「一番音を大きくしたい」というのもあったりするわけだけど、「海外のバンドが来たとき、日本のオープニングアクトのほうがやれてた」みたいな伝説を作りたい的なのよりは、2バンドで良い1日を作っていくのが大事じゃないか、という感覚になった。それも自分の中での変化でしたね。

Atsuo そういう感じですよね。


明日の叙景(Photo by @vvvydmy)


Boris(Photo by @vvvydmy

ー本数の多いツアーでなければそういう発想には至らないですよね。

等力 そうだと思います。単発のライブならどうしても自分が自分がってなってしまうのが、そうじゃないんだよなとなる。

Atsuo 歴史の中で自分たちがどう在るべきかという感覚になっていきますよね。

等力 本当にそう思います。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE