クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズが語る、音楽という「救済の天使」

 
これまでの歩み、それぞれの名前

クリスは1988年にフランスのナント市で、エロイーズ・レティシエとして生まれた。バックグラウンドの詳細は、あまりにも頻繁に繰り返されてきたため、ポップの神話となっているようだ(そこには父親が文学教授で、聡明な娘にジュディス・バトラーのジェンダー論を読ませたエピソードや、リヨンでダンスと演劇を学んだが、女性が劇の演出をすることは禁じられていたのに、クリスはそれを無視し演出をした結果として放り出されたといった話が含まれる)。失恋した末ロンドンに逃れ、クィアクラブに身を寄せたクリスは、ドラァグクィーンたちに愛情をもって歓迎された。それ以来、エロイーズはクリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズと名乗るようになった。

エロイーズは内気で臆病だったが、クリスティーヌは正反対で、外向的でエキセントリックな芸術家/ダンサーだった。エロイーズはステージに上がると、クリスティーヌに切り替わるようになった。クリスティーヌは、エロイーズが決して敢行しないことを実行する自信に満ちたキャラクターで、男女の二元論をあえて打ち破ろうとしてきた。2014年6月にリリースされた1stアルバム『Chaleur Humaine』の 最初の曲で、クリスは「僕はもう男だ」と歌っているが、音楽がキャッチーなシンセポップだったため、その言葉のプログレッシブな側面はどことなく失われた。「1stアルバムでさえ、ジェンダーの問題をめぐるアンビバレンスについて多く歌っていたけど、当時は髪が長くて、クリスティーヌと名乗っていたから、みんなあまり気に留めなかったんだ。ペニスがあることについて4分間歌った曲があるけど、普通の女の子にしか見えなかった」と数年前、ローリングストーン誌に語っていた。



やがて髪をバッサリと切り落とすと、次のアルバムではクリスティーヌではなく、アンドロジナスで曖昧な『Chris』(2018年)を名乗った。傑出したアルバムで、晴れやかできらびやかなダンス・ミュージックだ。クリスにとってダンスは極めて重要であり、アートの飾りではなく、音楽の引き立て役でもなく、自身の芸術作品における決定的な部分である。ダンスは、特に多数派社会に属さない人々にとって政治的行為である。なぜなら、踊るということは、自分の身体を受け入れ、それを喜びの源として讃えることだから。自分の持っているものを全て生かすこと。周りに合わせず、ただ自分自身を表現するのだ。



それから母の死後、2020年2月に「People, I've Been Sad」(みんな、僕は悲しかったよ)という、声が美しく歪んだエモーショナルなダンスバラードを発表する。この曲は彼の新たな高みとして評価されたが、最新作『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』の序曲のようなアルバムだった『Redcar les adorables étoiles(prologue)』(2022年)は驚くほど注目されなかった。「2022年のアルバムは痛いほど誤解されていた。でも、それでいいんだ。フランス語のコンセプチュアルで生々しい80年代風のレコードだったから、そうなることはなんとなく想定していた」。前回ツアーのリハーサル中に、冗談でこのアルバムを 「Redcar 2026」と呼び、2026年になったら社会がこのアルバムをようやく歓迎するようになるだろうと予測していた。「2026年にレコードがどうなっているか様子を見ようと思う。2026年はなぜかとても“レッド“な感じがするんだ」。




新キャラクターの「レッドカー」がかなり薄っぺらい脂ぎった男性性を象徴としていたことは別としても、2022年の同作はあまりにもコンセプトが不明確で、誰もが何を意味するのかわからなかったのではないか。掴みやすいフックがなければ、そもそも抽象的なコンセプトの弱点だけが目立ってしまう。『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』ではコンセプトは中々はっきりしないかもしれないが、それぞれの楽曲が十分に力強く、トニー・クシュナーの 戯曲『エンジェルズ・イン・アメリカ』との繋がりも納得がいく。時空を超えて、80年代のニューヨークで孤独に死んでいくエイズ患者たちに寄り添う天使という、クシュナーのアイディアを真摯に受け止めるクリスの姿に、とても心が揺さぶられる。

「大学で演劇を勉強していたとき、初めて『エンジェルス・イン・アメリカ』の原作を読んだんだ。とても奇妙で、とてもキャンプで、とてもシェイクスピアのようだった。大好きだった!」。クリスはロックダウン中、マイク・ニコルズが手掛けたHBOのミニドラマシリーズも観て、作品へのこだわりがさらに強まった。「エンディングはハッピーエンドのようなもので、僕にとって最もクィアなジェスチャーだ。悲劇の構造が、デウス・エクス・マキナ、つまりすべてを救う天空の幻影によって引き裂かれる。僕自身、無意識にそういう救いを望んでいたのかもしれない」。音楽は、突然現れる救済の天使のようなものだったと彼は言う。「あの音楽にマジで救われたんだ」。

ニューアルバムの中に「Marvin descending」という曲があるが、「マーヴィン」とはマーヴィン・ゲイのことで、球体のエレクトリック・ギターとシンセが奏でる浮遊感のあるポップ・ソングだ。それに加え、マドンナが抽象的な存在として、おそらく天使を体現する者として、いくつかの箇所でスポークンワードを披露している。「Lick the light out」は、その幻影に相当する音楽だ。不協和音のシンセサイザー、ポリフォニックなボーカルで始まり、メロディは基調の周りをうごめき、ビートが鳴り始めるまでにまるまる4分かかる。しかし、目を見張るのはそのビートの入り方だ! マイク・ディーンが作った幻想的なシンセ・サウンドがようやく相応しい音を放ち、ダレン・キングが素晴らしいドラム・フィルを鳴らす。まるで天国のようだ!




『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』は収録時間が90分あるので、ちょうど劇場でも演じられそうな長さだが、その方向性も視野に入れているのだろうか? ポップ・オペラ的なアルバムを実際にポップ・オペラとして、衣装と豪華なセットを使い、総合芸術作品として上演したいと考えているのだろうか? 「今の時点では、あくまでもロック・ショーのようなものだ。僕はフレディ・マーキュリーに夢中でね。オペラ的なものはすでに、彼が開く心の中にあると思う」。この音楽はとてもマキシマリスト的だと彼は言う。だから、パフォーマンスでは必ずミニマルさを想像する。「ダンサーは使わず、スモークマシンと照明だけで、曲と曲の間に詩を少し入れる。音楽の存在感がかなり大きいから、それを展開させるために十分なスペースを与えなければならない。サウンドがすでに大聖堂のように感じられるから、それをビジュアル的にも具現化しすぎるのは冒涜だろう」。



エロイーズ、クリスティーヌ、クリス、レッドカー。同一人物の異なる化身なのだろうか? それぞれがどのように繋がっていのだろう。「名前は、演劇のようであるし、それよりも別の現実を切り開くことができる。半分は演出であり、半分は真実である」。そして、名前は世界に美と意味と深みをもたらすと言い加えた。作家のジャン・ジュネによるパリのゲイの裏社会を舞台とする小説『花のノートルダム』(1943年)にも触れ、「疎外された人々、ドラァグクイーン、女装家、ゲイの船員たちは、互いに名前を付け合うことによって華やかで輝かしい存在となる。名前には尊厳がある。僕も自分が持っている名前を全部愛しているし、よく遊んでいる。そして、与えられた名前もきちんと守っていく」。

エロイーズ……「この名前には何とも言えない美しさがある! 40歳になったら、やっとこの名前で呼ばれるようになると思う。そのときまで、この名前を守るために詩を作っていくんだ」。


Photo by Jasa Muller




クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズ
『PARANOÏA, ANGELS, TRUE LOVE』
発売中
再生・購入:https://virginmusic.lnk.to/CATQ_PATL

Translated by Jennifer Duermeier

 
 
 
 

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