浜田省吾、5万5千人を集めた88年渚園野外イベントがいま映画化した奇跡の背景



田家:1984年のアルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』の中の「HELLO ROCK & ROLL CITY」。映画では3曲目だったんですね。今週来週、曲をどうしようかなと思ったんですが、84年当時を思い浮かべていただくということでオリジナルからお送りしております。板屋さんがさっき構想8年と言われましたが、35年前のイベントなわけで、このときは映画にしようなんて意識はなかった?

板屋:全くなかったですね。88年の前まで浜田さんのライブの映像商品も出てなかったですし、発売するからと言われて撮った訳でもない。

田家:記録用で撮ったと。

板屋:記録用なのにフィルムで撮れているってのはものすごく贅沢ですけどね。

田家:16ミリフィルムに撮ってるんですよね。

板屋:そうです。5万5000人という会場で13台持ってたんですけど、今考えるとちょっとスケールに対して台数は少ないんです。それでも16ミリで撮れたっていうのは贅沢だったなと。

田家:その時はどんな撮影になるだろうなと思いながら?

板屋:もう覚えてないんですけど前日にクルーで会場の下見に行くじゃないですか。そうするとステージの下手のクレーンに乗っていらっしゃる井出情児さんっていうカメラマンが「板屋! カメラ100台持ってこい!」って叫んだのはすごく覚えてますし、このスケールで13台っていうのはちょっと少なかったかなって若干心細い気持ちもしたのは覚えてますね。

田家:井出情児さんが100台持ってこいってふうに言った。そういう広大な場所、5万5000人を相手に13台で撮った。さっき浜田さんの野外ライブもそれまでお撮りになったことがない。

板屋:そうですね。僕は浜田さんとお付き合いさせてもらったのは86年ですから。

田家:最初にこういうのをやるんだって言われたときにまずフィルムで撮ろうって思われた。

板屋:そうですね。フィルムは贅沢なんですけど、ビデオみたいにずっと回るわけじゃなくて。フィルムを詰めたマガジンっていうのをつけるんですけど最長で11分しか回らないんですよ。11分するとフィルムがからからっと切れてまたマガジンをつけ直すんです。当然マガジンは三つぐらいしかないので、助手さんがダークバックっていう袋に手突っ込んでフィルムを取り出して、新しいフィルムを入れてみたいな。結構やりくりするのが大変だったのを覚えてますね。

田家:さっきの「HELLO ROCK & ROLL CITY」の映像は、浜田さんがステージを移動したり、町支さんと一緒になって走ったり、とても動きのある映像だったわけでしょ。あれは最初に直面する動きのあるシーンだったんじゃないですか。

板屋:今考えると最初に直面した非常にピンチな出来事のあった曲ですね。実はあの曲は当時珍しかったステディカムっていうあまり揺れないカメラ、プロじゃないと撮れないようなカメラでワンカットで撮ろうとしてたんですよ。どういうふうにしたかっていうと、通路を後ろから通っていくんです。僕はリハーサルのときラジカセでその曲をかけて、そのまま通路からステージ前に行って、上手、つまり右手の方に行くとクレーンがある。クレーンは普通人が乗る椅子があるんですけど、それをとっぱらって、支柱を立てて、その上にステディカムが乗って、そのままステージの上に上がると浜田さんがそこで歌ってるというタイミングを計ってそのまま浜田さんについていこうと。もうワンカットですね。で、本番なんですけど、待てど暮らせどステディカムが来ないんですよ。浜田さんはもうそこで歌ってしまって、ずっと向こうの方に行っちゃって。それでも来ないんですよ。やっときまして、なんとかステージに上がって、この映画でも使うことができたんです。なぜ使うことができたかっていうと、ワンカットですけど、他のカメラもその時に回してたから。後でカメラマンにどうして来なかったのって理由を聞くじゃないですか。そうすると、リハーサルのときは誰もいないですから通りやすかったけど本番はみんな超盛り上がって、荷物が通路のところに出たり全く動けない。だから想定よりも2コーラスぐらい遅れて行ったんですね。

田家:ライブですねえ。

板屋:結果よければ全てよしで。よかったです。

田家:いろんなアングルが楽しめる曲にもなってますもんね。いろんな曲にそういうエピソードがあるんだと思いますが、この曲はどうだったのかなと思ってお聞きしようと思います。映画の中では6曲目です。

Rolling Stone Japan 編集部

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