TAKUROが語る民主主義、令和元年のアルバム『NO DEMOCRACY』を振り返る



田家:アルバム『NO DEMOCRACY』の4曲目「Flowers Gone」です。これは92年当時の曲だったっていう。

TAKURO:当時GLAYが函館から東京に上京して、地下のライブハウスでやって、芽が出ない、結果が出ない、誰にも認められない中で(できた曲で)、今回俺とHISASHIが多分やろうって言い出したんです。この曲は今聞いても幼いですし、歌詞なんかその頃の東京のインディーズの影響を受けていて何言っているか全然わからないんだけど、人生を思うとき、人は過去のある種間違いみたいなものを正しながら生きているのかなって、今この曲を聞きながら思ったんです。今のGLAYの技術、TERUの歌唱力で歌ったら面白い曲だと思う。君の出番は令和元年だったんだよって、改めてこの曲の演出家としてメンバー4人がこの曲に正しい役を与えられたなって。90年代のときもいい曲とは思っていたけど、それは当たり前として、メンバー全員が胸を張って今これだよね、これが一番楽しいんだよねってやっていることが、たまたま時代とマッチしたらヒットになったし、GLAY以外の大勢の人たちの類まれなる努力があった。僕は心から自分のソングライターとしての才能を疑ったことはないんです。さじ加減もわかっているんですよ。俺ってこれぐらいって。どんなに頑張ってもこれぐらいだろうし、どんなに怠けてもこれぐらいはできるみたいなね。

田家:それは92年当時からあった?

TAKURO:当時から。だからどんなに売れても自分の手柄だと思ったことないし、どんなに売れなくても俺のせいだと思ったことはないですね。なぜならば、流行る歌っていうのは末端の全ての人たちまでちゃんと自分の仕事をして、それでも10年に1回起きるか起きないかの奇跡のような代物だから。「Flowers Gone」は92年じゃなくて令和元年に出すのが正解だったのかもしれないと思えることで過去の何かしら忘れ物を取りに行くみたいな。そういうのを30年ずっとやっている気がする。自分を肯定しながら生きることはなかなか難しい時代だけど、いつか自分が強くなったり知恵がついたり力がついたりしたときに、あのとき助けられなかった誰かを今の力なら助けられるかもしれない。そんな期待を胸に日々生きているような気がしますね。

田家:自分がちゃんと力をつけていかないと、そういう場面を迎えられないわけですね。

TAKURO:究極をいうと、恵まれない子供たちに何か手を差し伸べるような、一欠片のパンですら足りない人にパンを届けるような、そこまでの力が欲しいけれど、そうはいってもそれほど人生は長くないので、一歩一歩階段を上がっていくだけなんだけれども、その中でもたまにこういう救済はあったりするから。自分が目指した男像とか、自分が登り切ろうと思ってる山とか、そういうものを時々曲が教えてくれるんですよね。

田家:その自信っていうのは、GLAYを組んだときからあったんですか。

TAKURO:ありましたよ。よく「私は曲が書けない」とか「詞が書けない」って相談もされるんですけど、何でもいいから書きゃいいと思うんです。自分の力を過信せず、あなたがもしポップミュージックを目指してるなら拙い詞をTERUに歌ってもらえばいいじゃんって話なんですよ。彼が100倍感情豊かに、足りない部分は声のトーンで補ってくれるので、あまり自分を追い込まなくて大丈夫だよって。

田家:それは自分に才能があるとかないとかっていうことではない。

TAKURO:あなたのベストはそこなんだから、もっといい曲があるかもしれない、メロディがあるかもしれないと考えないで、あとはTERUに任せて、今の自分のベストはこれです、お願いだからもっといい感じにしてって。足りない分を補ってねって(笑)。

Rolling Stone Japan 編集部

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