TAKUROが語る民主主義、令和元年のアルバム『NO DEMOCRACY』を振り返る



田家:この曲を書いた時のことって覚えてらっしゃいます?

TAKURO:GLAYがずっとやってきた、いわゆるポップミュージック、商業音楽としての雛形みたいなものをもう1回見直すとき、やっぱり強い言葉で歌っていきたいなって。ちょっと滑稽なぐらい面白く日本語ってものと向き合ってみたいなと思ったんです。

田家:滑稽なぐらいね。

TAKURO:40歳を過ぎたぐらいから思ったんですけど、GLAYもそれなりにキャリアを積んできたけど、いわゆる大御所扱いの中で、ステージに出た瞬間にぷっと笑えるぐらいの存在というか、ユーモアでもって包んでいきたいなって。変に神格化されず、カリスマ扱いとかではなく、アンタッチャブルなものでもなく、気軽な音楽仲間みたいな形で上とも下とも付き合っていきたいなと思っている。それは今のGLAYの佇まいにも通じていて、5年経ってもただのバンドマンであろうと、メンバー4人そうしようとしていると思います。だけど話していく中で、上っ面だけじゃない、実はちょっと最近こんなこと考えてるんだよねってものを『NO DEMOCRACY』に散りばめて、その中の際たるものが「元号」だったりする。

田家:これは平成から令和になるタイミングで発売されて、平成と令和というところに特化した形で聴かれましたけども、歌詞の中では令和とは言ってないですもんね。

TAKURO:昭和から平成に変わるとき僕らは17、8だったんですけど、大人たちの反応はすごいインパクトでしたね。それぐらい昭和っていうのは激動で、大人たちにとっては足に絡まる鎖みたいなもの、重い鉄球みたいなものを引きずりながら歩いていたんだなっていうのが子供ながらの大人感っていうのかな。1945年まではあいつら敵だって言ってた人が、今日からは仲良くしなさいねっていう、大人の嘘の顔を見ながら価値がぶっ壊れていく様。それを経験せずに済んだ安堵感もありながら、それがその後の日本の成長にものすごい後押しとして働いたんじゃないかなって。昭和から平成、平成から令和ってところで自分の中でもいろいろ考えることがあって、あの頃の大人の方がある意味もっと国を背負ってた気もするし、大人だった気もするし、だけど、どこまでいっても愚かだった気もするし。そんなことを考えながら「元号」を作ったんですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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