日本のカバーポップス最大のヒロイン弘田三枝子、伊東ゆかりと振り返る当時の思い出



田家:伊東ゆかりさんが選ばれた弘田三枝子さんの4曲目「私のベイビー」。これもゆかりさんも歌われてまして、「オールタイム・シングル・コレクション」の中に入っておりますので、そちらの方で聞き比べていただけたらと思ったりします。でもこんな歌い方できる人は今でもいませんもんね。

伊東:ぐわーってのはどうやって出すんでしょうかね。ちょっといまだに私はできない。

田家:ダイナマイトと言われた所以ですね。何度か話に出てる「人形の家」で歌謡曲の方で復活して。

伊東:違う人と話してるみたいで。女らしくなっちゃったしね、本当に。アメリカ行くとかうらやましいなとか思ったこともあるし。コンサートか何かで一緒になって、ショーが終わった後に、楽屋でお弁当を食べながら話したことがある。ミコちゃん駄目、そんなに痩せちゃって駄目って。でもガパガパ食べてんですよ、お弁当を。太らなくてうらやましいわねって話して。私にも孫がいるのよって話になって。私はいないから羨ましいわねって。そんな話をして。それがミコさんと話した最後だったかな。

田家:2020年7月21日に他界されました。日本のガールポップ、ここから始まったんだって意味では、本当に一番最初からいらっしゃるわけですもんね、伊東ゆかりさんは。

伊東:あはは。弘田三枝子さんも。

田家:はい、お元気でいてください。

伊東:ミコさんにも元気でいて欲しかったですね。

田家:来週は伊東ゆかりさんのその後というんでしょうか。たっぷりお聴きしたいと思います。

伊東:ありがとうございました。

Rolling Stone Japan 編集部

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