日本のカバーポップス最大のヒロイン弘田三枝子、伊東ゆかりと振り返る当時の思い出



田家:弘田三枝子さん1964年12月発売「砂に消えた涙」。これはイタリアの歌手ミーナ。「月影のナポリ」という大ヒット曲もありましたけど、「砂に消えた涙」の日本語バージョンをミーナさんが歌って、これも大ヒットしましたね。弘田三枝子さんよりもミーナさんの方が歌謡曲っぽい。弘田三枝子はやっぱりジャズ、ロックですね。この切れ味はすごいですね。この曲は竹内まりやさんとか矢沢永吉さんもカバーしてたりしますね。

桑田さんがこの曲を一番好きな歌と話していたこともあります。桑田さんのソロの曲で「可愛いミーナ」って曲がありますが、今の「砂に消えた涙」を日本語で歌ったミーナのことなんですね。サザンオールスターズのアルバム『綺麗』の中に「MICO」っていう曲がありまして、あの「MICO」は弘田三枝子さんのことでもあります。歌詞の中に「人形の家に住まう前は Japanese Diana Ross」って歌詞が出てきたりするんですね。弘田三枝子さんは69年に「人形の家」で歌謡曲歌手として復活するんですが、その前はジャパニーズ・ダイアナ・ロスだったんだぜ!って歌ってるんです。でも当時、ダイアナ・ロスという人自体が茶の間の人は誰も知らないという60年代でありました。

カバーポップスは65年に下火になるんですね。きっかけは明らかにビートルズですね。漣健児さんがビートルズの訳したものもあるんです。「抱きしめたい」の漣健児バージョンとかあるんですけども、漣さんがその時にビートルは訳せないって言って訳詞家を辞めるんです。そこからシンコーミュージックはビートルズ一辺倒になっていくんですが、カバーポップスはそこで終わります。弘田三枝子さんの英語の歌をお聞きいただきます。1963年、16歳のときの歌声です。



田家:弘田三枝子さん1963年2月発売「マック・ザ・ナイフ」をお聞きいただきました。ミコちゃん16歳のときの歌声です。オリジナルは全米9週間1位だったボビー・ダーリンのヒット曲だったんですが、僕らはボビー・ダーリンよりも弘田三枝子でこの曲を知ったと言っていいでしょうね。彼女はエラ・フィッツジェラルド、ジャズの女王に気に入られて1965年の「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」で歌ったりしているんですね。歌を表現するとき、歌にパンチがあるって言い方は弘田三枝子さんからだったんじゃないでしょうかね。 CMソングもいっぱい歌っていて、ダイナマイトポップスというニックネームを欲しいままにした。でも時代が早すぎた。そんなダイナマイト娘です。で、伊東ゆかりさんと同じ電車に乗って米軍キャンプに歌いに行っていた小学生だった。同い年です。この後、伊東ゆかりさんに伺います。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE