日本のカバーポップス最大のヒロイン弘田三枝子、伊東ゆかりと振り返る当時の思い出

ヴァケイション / 伊東ゆかり

田家:1962年10月発売、6枚組『オールタイム・シングル・コレクション』からお聞きいただきました。

伊東:これ、弘田三枝子さんの「ヴァケーション」も一緒にかけて聞くと本当に面白いと思いますよ(笑)。

田家:後ほど弘田さんの方もお聞きいただこうと思うんですが、さっきの電車の話で、あれはどうやって集められるんですか。

伊東:話せば長くなっちゃいますけど、エージェントみたいな人がいまして、東京駅の丸の内口、あの頃は甲州口って言ってましたけど新宿の今の南口、大体みんなそこらに集まるんですよ。それでエージェントさんが、あなたはここに行きなさい、あなたはここに行きなさいって、そこで分けられるんです。

田家:そこに小学生が2人いたと。

伊東:でも、そこの駅では一緒になったことはないんですよね。

田家:もう1曲、ゆかりさんのカバーポップスをお聴きいただきます。同じコニー・フランシスの代表曲ですね。「ボーイ・ハント」。オリジナルは1961年なんですが、伊東ゆかりさんは1971年にあえてシングル発売して、今もステージで歌われている曲です。

ボーイ・ハント / 伊東ゆかり

田家:オリジナルは61年の曲なんですが、伊東ゆかりさんはあえて71年にシングルにしている。「小指の想い出」とか「恋のしずく」がヒットした後にこれをシングルにしてるのが、彼女のこだわり方、私はこういう人だったのよってことを伝えたかったんだろうなと思いました。「ボーイ・ハント」の作曲はニール・セダカなんですね。ニール・セダカは名曲がいっぱいありますね。「恋の日記」とか「恋の片道切符」とか「おお!!キャロル」とか。60年代のカバーポップスとして一番歌われていた、カバーされていた作曲家と言っていいでしょうね。「おお!!キャロル」はキャロル・キングのことを歌った。これは有名ですね。こういう歌を歌ったコニー・フランシスが一番よく似合ったのが伊東ゆかりさんでしょうね。

三人娘それぞれカラーがありまして、やっぱり中尾ミエさんはタレント色が強かった。一番女性ボーカルとして甘酸っぱい感じがしたのが伊東ゆかりさんですね。吉田拓郎さんは中尾ミエさんにファンレターを書きましたが、僕は伊東ゆかりさんの方が好きでした(笑)。対照的にダイナミックだったのが弘田三枝子さんなんですよ。ダイナマイト娘っていうキャッチフレーズがついておりました。伊東ゆかりさんに弘田三枝子さん。ミコちゃんの話を聞く前にちょっと予習をしていきたいということで、これもニール・セダカの曲です。

Rolling Stone Japan 編集部

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