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「超人」と『卵』に隠されたストーリー

―『卵』のハイライトである、2曲目の「超人」がどうしてああいう曲になったのか。さっきの「情景描写的」「演劇的」という話で説明されたような気がしますね。

柳瀬:あの曲を作るときに思っていたことがあって。僕は川が好きなんですけど、上流や下流があって、緩やかになるところもあれば、速くなるところもある。そういう自然の流れがあるわけですよね。人間の一日の生活でも「速さ」って違うじゃないですか、それは人生においても言えることで。今くらいの年齢からそういうことを突き詰めようとすれば、50歳くらいになった時にはいい曲が書けるんじゃないか……そこを目指してやってますね。



―「超人」は9分の長尺曲で、ここまでの長さは『中学生』のタイトル曲と「ゆめみちゃった」以来だけど、以前の長い曲とは趣が異なるというか。

柳瀬:全然違いますね。あの頃は中2病っぽい発想でしたけど、今は全くそれがない。タイトル曲の「卵」が8分半、最後の「葵」も6分半だけど、そうなったのは日本語の制約もありますね。言葉数を詰めるとラップやポエトリーになってしまうから、(それを避けると)どうしても長くなる傾向はあると思う。ただ「超人」に関しては、曲のほとんどを占めている歌詞は“やめて”だから、最初の2分くらいで……。

―それ以外の歌詞を全て歌っている。

柳瀬:そうなんですよ。「超人」は作っている段階で構成が決まっていて。デモの段階では6分だったけど、ライブでやってたら「足りねえ」と思って。今でもライブでは、みんなの気分で終わるんです。「来た!」ってなったら終わる。

―昨年末、渋谷WWWのカウントダウン・パーティーで演奏したときは長かったような。

柳瀬:あの時はなかなか到達しなかったんですよ。いつもドラムと目配せして長さを決めてるんですけど、「もっと行けるぞ」って。あの日はよかった気がする。

―最高でした。

柳瀬:「超人」はいいときと悪いときがあって。全然よくない時もあるし、僕のパワー不足を感じるときもある。“やめて”の一言だけなのも難しくて。ジャック・ブレルはやっぱり半端ないんですよ(笑)。でも、あの曲がアルバムの頂点になっているので。

―2曲目にして。

柳瀬:最初は1曲目だったんですが、なぜか忘れたけど2曲目になって。『卵』では大きい波が一つあって、そこからは何も起こらないみたいなことがやりたかったんです。普通は徐々に盛り上がって、落ち着いて、みたいなのが交互に訪れるものだと思うけど、それよりも衝撃が一つあったあとは、静かに終わるようなのがいいなって。

あの曲のMVを録るときも、これまでは内容の相談とかしてきたけど、今回は勝手にやってくれって。僕の中ではっきりした情景があったので、あなた(監督の達上空也)が思う情景をそのままやってくれればいいっていう感じで、ノータッチでした。

―柳瀬くんの中にあった情景はどういうもの?

柳瀬:(アルバム)全体のストーリーがあって、最初の大きな波がここで起きるような感じ。あまり言ってしまうと説明的になるのでアレですけど……今回は映画のカットアップみたいな考え方をしたんです。普通の曲順があるとして、最後のピークを最初に持ってきた。エスカレーターみたいにストーリーが循環していて、「超人」はエンディングで、最初にオチがわかってるという作りなんです。その方が面白いかなって。だから全曲ズレている。『卵』っていうタイトルも、始まりと終わりのどちらでもないみたいな感じで。


『卵』ジャケット写真

―『卵』のアートワークも、何かが始まるようにも、全てが終わってしまったあとのようにも見えますよね。だから自分も、最後の「葵」と1曲目の「母船」はストーリーが繋がってるのかなと思ったんです。「葵」の歌詞にあるような、かつて栄えたものが朽ち果てたあとの景色にも、“寂しい土地”にやってきた「母船」が降り立つ寸前のようにも見えるので。

柳瀬:そこはすごく大事にしました。あれはアマナイメージズで買った写真で、それを再撮影したものなんです。カラーコレクションはしたくなかったので、赤い照明に当てて撮ったんですけど、もともとは真緑でデジタルの、アマナによくありそうな写真なんですよ。そこにも一応意味があって、自分たちで撮り下ろすよりは、どこかの国に住んでいる、知らない誰かの目に映ってたもの、僕らも知らない記憶のなかにある情景みたいな感じにしたくて。

あのジャケットは内容ともすごくリンクしているんです。それこそゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラー(以下、GY!BE)みたいに情景を描くような音楽は、ジャケットも風景を用いたものが多くて、ロックバンドっぽくなかったりしますよね。レコーディングについてもそうですけど、今回一番大事だったのは、バンドの演奏者の存在を感じさせないこと。前作のジャケットは僕の顔でしたけど、『卵』は情景重視なので、人間を表に出したくなかった。

ちなみに最初の案は、実家に飾られているようなカレンダーでした。ただ、それだと循環の要素がわかりやすすぎるのと、ブラック・カントリー・ニュー・ロードの2nd(『Ants From Up There』)とビジュアルが似てしまって。「これはダメだ」って(苦笑)。




―また歌詞の話になってしまうけど、「葵」は衰退していく今の日本を歌っているようにも聞こえたんですよね。“20年間の負債を/タンクローリーが踏み潰していくのがいい”という歌い出しからして、バブル崩壊後の「失われた20年」と、その現実に向き合ってこなかった自民党政権を連想させられるというか。

柳瀬:(歌詞は)さっきも話したように、実際の社会との関連は全くないですね。「失われた20年」とのダブルミーニング的な意味合いもあるっちゃありますけど、僕のなかではニアミスに近くて、そう見せかけてはいるけど全く関係ない。社会とかそういう話じゃなくて、アルバムの登場人物にとっての「20年」ですね。「俺とお前、ただそれだけ」みたいな。そういう退廃的なムードを一番大事にしているので。ただ、「社会にとっての20年」と解釈してもらっても別によくて。

―そこは受け取り手次第であると。

柳瀬:歌詞の説明をしてしまうのはもったいない気がするんですよね。せっかくそういうふうに解釈してもらったら、そこに広がりが生まれるので。その余白は大事にしたい。ちなみに、「葵」はアルバムの中でも独立した曲で。他の曲は時代感をなくしていく作業をしていて、どの時代か絶対にわからない言葉を選んで書いたんですけど、「葵」は“パソコン”とか“スタジアム”みたいに現在を感じさせる描写を含んでいる。だから、最初の9曲と最後の1曲は全く別物なんです。



―野暮を承知で続けると、今回のアルバムには戦争のムードもうっすら感じたんですよね。メランコリックな曲調もそうだし、“気づけば夕暮れ戦火の中”(「H」)みたいな描写もあったりするので。

柳瀬:僕はそこまで意識してなかったですし、自分が経験していないことだから、戦時中の物語を軽率に表現することはできないけど、今の時代のムードみたいなものも入っているとは思います。タモリも「新しい戦前」と言ってましたしね。空気感としては、現代ではないどこか……ファンタジーの部分が9割で、現実が1割。そこからまたファンタジーに還っていく。そういう構成のアルバムになっています。

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