betcover!!がついに明かす飛躍の理由、驚異の創作術、海外からの眼差し

やりたいのは「音楽」よりも「ムード」

―『時間』を出したときは、POPEYEのコラムがほぼ唯一のメディア露出でしたよね。「売れて金のあるやつが、高い楽器つかってゴミみたいな曲を歌うなよ」と書いているのを見て、やっぱり只者じゃないと思いました。

柳瀬:あれはジョークだったんです、なんか面白いことを書こうかなって(笑)。

―殺伐としていたわけではない?

柳瀬:内心思うときはありますけどね、「立派な機材を使ってんのにこれかよ」みたいな。僕は憂歌団が大好きなんですけど、内田勘太郎さんがずっと使ってるのは、ボーカルの木村充揮さんが1万円くらいで買い与えたギター(Chaki P-1)なんです。それを何十年も使っていて、「365日、弦を鳴らしてるからいい楽器になるんだよ」みたいに言っていて、絶対そっちの方がかっこいいじゃんって。あとは、そういうふうに書いてしまえば自分も逃げられなくなるので。

―「ゴミみたいな曲」を歌うわけにはいかなくなったと。

柳瀬:そうそう。もっとも僕としては、他人よりも自分に対して一番辛辣なつもりですけどね。自分が書く曲や歌詞は常にクソだと思ってますし。そもそも僕が目指してるような詩って、本来なら頭が良くないとできないと思うんですよ。でも自分には学がないので、どこか諦めているところもあって……詩の書き方もPOPEYEのコラムみたいな感じですし。

―ノートに殴り書きみたいな?

柳瀬:(白目を剥いて)家で「うぉー!」って考えて、出てきた言葉を意味もないまま書いていくみたいな。「壁」(『卵』収録)の“看護婦になりたかった”という出だしも、頭を絞って歌詞を考えているうちに「これだ!」って(笑)。

―深い意味はない?

柳瀬:ないですね。ないこともないですけど。



―「壁」の歌詞で描きたかったことが、もしあるとすれば?

柳瀬:なんですかね。僕の詩にメッセージ性はまったくないので。

―それは以前から一貫して言ってきたことですよね。

柳瀬:「社会に適合できてない人間が発するメッセージって何?」と思ってますから(笑)。ミュージシャンがよく「寄り添う」「助けになりたい」とか言ってますけど、なれるわけないし、なろうとしてなるもんじゃないだろうって。「壁」は特に何もないかも。そういう意味性みたいなことから一番外れている曲ですね。

―もっとシュールなものであると。

柳瀬:そうそう。ただ、テーマはありました。南米の貧しい女の子が高級セダンに乗って、ハイウェイをぶっ放すみたいな。曲を作るときは、そういうイメージがいつも先にあって、(最終的に)それ以上になればいいなって。

―言葉が単体でもつ意味よりも、音と組み合わさることで生まれるムードが大事?

柳瀬:そうですね。ムードっていうのは最近強く意識していて、これはエロの話とも近い気がします。


Photo by Riku Hoshika

―柳瀬くんが言う「ムード」っていうのはどういうこと?

柳瀬:詩とか歌詞の意味っていう以上に、その曲を聴いたうえで何を感じるかが大事だと思っていて。それって歌詞と曲がハマらない限り生まれないものだと思うんですよ。「壁」についても、適当な言葉が並んでいるようだけど、何でもいいわけじゃなく、「これしかない!」っていうような言葉がハマる感覚があって。それがムードを形成していると思うんです。そんなふうに曲単位の小さなムードがあり、アルバムという大きなムードがあり、僕自身やバンドというさらに大きなムードがある、みたいな。

―なるほど、面白い。

柳瀬:そういう意味で、『時間』のときは曲単位だったけど、『卵』についてはアルバム単位でムードを作ることができた。前作に比べてパンチはないと思うけど、『卵』では本来ずっとやりたかったことができたんですよね。前作を作ったときに、まだやれるなって思うところがあって。一曲ずつにパワーを込めすぎたっていうか。評判はよかったけど、あれは自分が一番やりたいことではないので。

僕は映画的というか、流れのあるものが好きなので、今回やっとスタートラインに立つことができた気がして、すごく嬉しかったんです。音像についても、前作は「ハプニングを起こそう」っていう感じのものだったけど、今はもっとシンプルに作れるようになった。だから、僕は今回のアルバムの方が音楽的だと思いますけど、逆説的に言えば、前作の方が音楽的であるという見方をする人もいるでしょうね。

―それはサウンドの凝り方という点で?

柳瀬:そう。あとは一曲ずつ音楽として作っていたという点で。でも、自分がやりたいのは音楽っていうよりもムードなんですよ。もともと僕は、小さい頃から映画監督になりたかった。絵を描くのも好きだったし、実は音楽なんて一番関係ないと思ってたんです。なぜかというと目に見えないから。ストーリーを伝える視覚的な力が弱い。それに、音楽は時間の流れとともに聴くものだけど、絵は(見れば)一発ですよね。映画も時間の流れとともに鑑賞するものだけど、その(視覚的な)一発がずっと続いているわけじゃないですか。音楽だと情報が少ない。映画は総合芸術で目も耳も使えるけど、音楽は耳しか使えない。すごく難しいな、どうすればいいんだろうと思って、今はずっとムードの研究をしています。

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