ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Sara Iijima」

ケンドリック・ラマーの来日

ー2018年のフジロック・フェスティバルでケンドリック・ラマーが来日した際も、飯島さんがアーティスト担当として尽力していました。世界を席巻するトップ・アーティストらと共に仕事をするなかで、彼らの姿勢から学んだことはありますか?

飯島 アーティストによっていろいろと異なるんですが、ケンドリックたちは自分のチームを非常に大事にしているんですよね。余計な情報が漏れることもないですし、カチッとチーム内で動いている。その反面、「いろんな人と繋がりたい」と楽しみながら動いているアーティストもいますし、それは世代の違いもあるのかなとも思います。フジロックでのケンドリック・ラマーのステージは本当にすごいなと感じました。土砂降りだったのに、彼がステージに立って照明がついた瞬間、雨が止んだんです。天気までも演出に変えちゃうのか、と。

ケンドリックがフジロックで来日する、ということが見えてきたとき、「今年はケンドリックの年にしないといけない」という使命感がありました。日本におけるアメリカのヒップホップの大スターというと、エミネムの名前が挙がることも多いかと思うのですが、それ以降、大スターが出ていない印象があった。だから、そういうスターを作ろう、ケンドリック・ラマーなら申し分ない、と。代理店の方に広告企画を相談して、霞ヶ関や渋谷の街に黒塗り広告を展開したり、一年近く粘って、ケンドリック本人にNHKのインタビューに応えてもらったりと働きかけました。ケンドリックは、アメリカ国内でも滅多にインタビューをやらないんです。なので、逆にインタースコープから「よくやったね」と褒められました。こうしたプロモーションって、一つの施策だけで何か形になる、ということがすごく少なくて。「あれとこれを組み合わせて、何か見えてきた」という感じなんです。それが実現できたのが、ケンドリック・ラマーの来日だったのかなと思います。



ーアメリカの音楽業界において、ヒップホップ・マーケットが拡大していく様子はありありと伝わってくるのですが、日本と比べたときに、どれくらいの差があると感じますか?

飯島 雲泥の差というか、それはチャートを見ればもう明白だと思います。私自身、「いつからヒップホップを好きになったんだろう?」と考えたとき、特に明確なきっかけがあったわけではないんです。小さい頃から洋楽のTOP40などに触れていく中で、自然とヒップホップに出会っていたんですよね。日本でも、チャートにヒップホップの曲が入っていることはあれど、それが常ではないですし、やはりマーケットの大きさは違いますよね。

ーそうした環境のなかで、ドレイクやケンドリック・ラマーなど、アメリカでは国民的な人気を誇るラッパーたちをこの日本で売っていかねばならないというのは、かなり難しそうにも感じます。

飯島 難しいですね(笑)。例えば、一晩のライブで1億円を稼がねばならないとして、日本ではそれが難しい。だったら、他の国に行ってツアーをした方がいい、ということになるんですよね。スーパースターのアーティストが日本に来て「初めまして、ドレイクと申します」と売り込んでいくのはなかなか難しい。そこはやっぱり非常に苦労しているところではありますが、ありがたいことに、日本はファッションやアート、食文化もそうですが、そういったところにすごく興味を持ってくれる場所でもあるので、「ビジネスとして成り立たないかもしれないけど、日本に行ってみたい」というタイミングを活用することもありますね。

ー仕事で海外に行くこともあると思うのですが、実際にアメリカの巨大メジャーレーベルで勤務している方々と接して、ビジネス・マインド的にインスパイアされることはありますか?

飯島 音楽業界に限らないことかもしれないんですけど、一ついいなと思うのは、スピード感ですね。「ここで何かが起こっている」となると、すぐに契約して決断していく。そうしたところはすごいなと感じますね。

ー音楽業界全体で、洋楽離れが危惧されている状況でもあります。そうした危機感を感じることはありますか?

飯島 感じます。音楽だけではなく、映画もそうなのではと思うのですが、日本独自のもの、もしくはK-POPがすごく流行っている状況ですよね。日本に限らず、コロナの影響でアメリカやフランス、ドイツなど、どこの国も自国のものが優先されている傾向になると思います。以前だったら、国を跨いでアーティスト同士をコラボさせようということもありましたけど、今はそれも必要ないくらい自国の音楽が盛り上がっている、ということが各国で起きているんです。なので、日本でもその流れが加速しているのかなとは思いつつ、でもやっぱり(海外にも)素晴らしいものはいっぱいありますし、今ではコロナ禍を経て来日アーティストもめちゃくちゃ増えてきている。このタイミングでやらないといけないな、と感じています。

ーやはり、アーティストの魅力を伝えるには来日してライブをするのが最も有効?

飯島 いくら言葉で伝えて、何か企画を立ててプロモーションしたとしても、やっぱり実際にライブを観たときの感動って、そこでしか味わえないものなんですよね。たとえ言語がわからなかったとしても、ステージの上から感じるプレゼンス(存在感)には、その障壁を越えるものがあると思います。2023年は、グロリラというフィメール・ラッパーをどうしても頑張りたいと思っていて、ぜひ彼女の来日も実現させたいなと思っています。




2023年、イチ押しのグロリラ(Photo by Aviva Klein)

ーこれまで音楽業界でキャリアを培ってきた中で、飯島さんにとってのキーパーソンはいらっしゃいますか?

飯島 さっきお話しした、この仕事を直接紹介してくれた先輩や、BOOM BOOM SATELLITESのマネージャーやageHaでPRを担当していた先輩とか……みんな、女性なんですけど、やっぱり女性としてこの業界で働いてきた方は、自分のメンターになりますよね。

ー逆に、女性だからこそ少し窮屈さを感じることはありますか?

飯島 めちゃくちゃありますよ。「やっぱりボーイズクラブ」だなって思うこともありますし。でも、そのなかで、自分は何をすればいいんだろうかっていうことを常に見極めながら働いています。女性が女性を助けられるような運営をしていきたいと思っていますし、私も若い女性や同年代の女性と一緒に仕事をする機会を増やしていきたいと思っています。

ー次世代で、音楽業界を目指したいと思っている方々にアドバイスをするとしたら?

飯島 とりあえず、現場に行ってほしいですね。クラブだったりライブ会場だったり。InstagramのDMなども活用して、どんどんいろんな人に話かけてほしいですし。パソコンを開いてそこで繋がれるコミュニティも大事だと思いますが、それだけじゃ始まらないこともある。直接、人に会って相談したら意外とスムーズに進むことも多いですし。実際に出かけてみて、五感で熱気を感じてほしいですね。

ーそのほか、飯島さんが仕事をする上でモットーとしていることは?

飯島 楽しんでやること。あと、自分がやっていることや好きになったことを信じて、それを広めていこうということですかね。じゃないと熱量も伝わらないし、楽しみながら一生懸命やることですね。夢がある業界ですし、チャレンジしてみたい方も待っています。

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飯島沙来
神奈川県横浜市生まれ。インターナショナルスクールにて就学。中2から7年間、トロント、ハワイ、ロサンゼルスなど海外で過ごす。幼少の頃から国内外の音楽に触れる環境で育つ。大学卒業後、ageHa(STUDIO COAST)の企画部で1年就業したのち、個人事業主として活動。2015年からユニバーサルミュージックの洋楽レーベルでアーティストを担当。HIP HOP DNA立ち上げメンバー。担当してきたアーティスト:ケンドリック・ラマー、ミーゴス、ジュース・ワールド、レディー・ガガ、ビリー・アイリッシュ、リル・ヨッティー、テイラー・スウィフト、ジャスティン・ビーバーなど。

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