ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Sara Iijima」

「HIP HOP DNA」立ち上げの経緯

ーHIP HOP DNAはユニバーサル社内で立ち上げたメディアであり、WEBサイトと連動して、YouTubeにもチャンネルを開設して運営していらっしゃいました。社内でこうしたメディアを立ち上げるのは、どれくらい大変だったのでしょうか。

飯島 最初に企画を立てた段階で、洋楽部の元上司も「どうせやるなら、これじゃ足りないからもっとやりなよ」という感じのスタンスでいてくれたんですよ。それで、あれもこれもと、同僚たちと一緒に四苦八苦しながらメディアを組み立てていって、最終的な決裁をもらったんです。なので、“リスクをテイクする”という上の判断にもすごく感謝しています。

ー実際に、社内でメディアを立ち上げてから、変化や効果を感じたことはありましたか?

飯島 あれがきっかけで、海外からいろんなヒップホップ・アーティストを呼べたのが、すごく大きかったです。やっぱり、日本にアーティストを呼ぶということは、洋楽のヒップホップを日本で広める上で絶対必要なことだと思っていて。実際に見てもらわないといけないし、触れてもらわないといけないですから。しかも、今はアーティストの数もめちゃくちゃ多いし、普段、邦楽や日本語ラップを聴いているリスナーでも、自分たちが聴いている海外のラッパーとなると、エミネムやケンドリック、カニエとか、そういうところで時代が止まっちゃっている人も多いと思うんです。なので、今、活躍しているアーティストを日本に呼んで、実際に盛り上がっている姿を見せることで、新たなファンもたくさん発生していくと思うんです。「HIP HOP DNAというプロジェクトが立ち上がりました」ということによって、アーティストを日本に呼びやすくなったり、海外のレーベルやマネジメントと話しやすくなったりということもあったんです。なので、それが一番やってよかったなと思うことですね。

ー確かに、大物ラッパーとなると、大型フェスにブッキングされることも少なくないかと思うのですが、「今、アメリカでコレが流行ってる!」というラッパーはなかなか来日しづらいという現状もあるかと思います。これまで、どんなアーティストをHIP HOP DNAで招聘してきたのでしょうか。

飯島 まず、HIP HOP DNAを立ち上げて一番最初に呼んだのはジュース・ワールドですね。その後にヴィンス・ステイプルズとリル・ヨッティを。特にジュースに関していうと、私の中でも、最も思い出深い来日アーティストで、シングル「Lucid Dreams」がバーンと盛り上がっている時期に来てくれたんです。こういうことって、なかなか叶わないことで。どうしても、日本と海外の知名度の違いや、セールスの格差もありますし、(日本の)いろんなプロモーターさんが呼びたいと思っても実現しないことも多いんです。そんななか、レーベルであるインタースコープの協力を得て、来日公演を実現することができたのはすごくありがたかったし、いろんな方に「あのライブを観にいきました」と言われるようになりました。ジュース・ワールドは、そのあと、彼らがプライベートで日本に来たときも連絡をもらって、いろいろと手配をしたんです。一緒に「来年はああしよう、こうしよう」と話していた矢先、その1週間後にジュース・ワールドが亡くなってしまって。本当に無念でしたね。





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