田中宗一郎とChilli Beans.が語りつくす、「今」のレッド・ホット・チリ・ペッパーズが最高な理由

音楽的ルーツとバックグラウンドを探る

田中:Chilli Beans.の皆さんにとってはチリ・ペッパーズがひとつのルーツだとしたら、同じようにチリ・ペッパーズにもルーツがあるわけじゃないですか。彼らのルーツはどの辺りにあると思いますか?

Maika:まだそこまで掘れてないんですよね。今はレッチリを掘ってる段階なので。

Lily:もうね、レッチリだけで情報量が多い。

田中:彼らのキャリアも長いから、今から掘っていくだけで大変ですよね。

Maika:曲数もとんでもなくありますし、レッチリは1曲が長いじゃないですか。その曲の良さだったり、その曲のフレーズを掘って、「うわっ、めっちゃいい!」ってなってる段階なので。めちゃめちゃ知りたいんですけど、まだ追いつけてないですね。でも、Pファンクっていう言葉はレッチリで知ったんです。「なんだろう?」と思って、PファンクでYouTubeを検索して、出てきた動画を上から見てみたりしました。でも結局、レッチリに戻ってくるところはありましたね。レッチリはちょっとポップな面を持っていて、わかりやすさもある。やっぱりレッチリが好きだなって。

田中:Pファンクとチリ・ペッパーズはよく似たファンクのリズムを使っているにしても、曲の構成に違いがあるんです。Pファンクの場合は、ヴァースもコーラスもバックの演奏は同じ。少なくとも和音は同じです。ずっと反復してるんですね。でもチリ・ペッパーズの場合は、コーラスになると別の和音やリズムになる曲も少なくない。一般的なブラックミュージックとは違う、いわゆるポップソングの形式を採用している。J-POP的と言ってもいいかもしれない。そこが我々日本人としても親しみやすいポイントなんだと思います。

Maika:確かに。

田中:あと、Pファンクとチリ・ペッパーズを比べると、チリ・ペッパーズは圧倒的におセンチ、感傷的じゃないですか。ただ、最新作2枚を聴いても改めて感じたんですけど、彼らの音楽がもっとも魅力的なところは、感傷的になって、めげたり、悲しんだりしているところだと感じたんです。

Maika:私たちにとってレッチリの入り口は激しめな曲だったんですけど、確かに掘ると出てくるおセンチ曲に惹かれる部分はありますね。

Lily:わかる。

田中:でも、チリ・ペッパーズの音楽のセンチメンタルな部分、感傷的な部分はどこから出てきているんだと思いますか?

Maika:歌詞のおセンチな部分は、周りにオーバードーズで亡くなった方がいたり、メンバーのバックボーンなのかなと思ってました。

田中:そこは確実にありますよね。彼らが感傷的になるのって、『Blood Sugar Sex Magik』からじゃないですか。すごく乱暴に言うと、その前の『Mother’s Milk』までは、「この人たち、悩んだり、悲しくなったりすることないのかな?」と感じさせるようなバンドだった(笑)。でも『Blood Sugar Sex Magik』ではいろんな友人の死に直面した。そして、それと同時に、あのアルバムが出た頃のアメリカは社会的に荒れていた時期だった。そういうことも反映されているんだと思います。

ー具体的に、当時はどのようなことが起きていたんでしょうか?

田中:もっとも象徴的なのはロサンゼルス暴動ですね。ブラック・ライヴズ・マターという運動は2012年にアフリカ系アメリカ人の高校生トレイボン・マーティンが自警団の男性に射殺されたことから起こったと言われていますが、同じように1991年にロドニー・キングというアフリカ系アメリカ人の男性が警官に不当な暴行を受けたという事件があったんです。それが引き金となって黒人たちの抗議運動が始まり、その一部が暴徒化することによって、いわゆるロサンゼルス暴動が起きました。当時、CNNではロサンゼルス暴動のニュースを報道するときに、『Blood Sugar Sex Magik』に収録されている感傷的なバラッド、「Under The Bridge」を使っていたんです。あれは彼らの友人であり、チリ・ペッパーズの初代ギタリストでもあるヒレル・スロヴァクをヘロインで亡くしたことを歌ってる曲ですけど、要は、社会から弾き飛ばされた人たちに対するレクイエムですよね。



ーつまり、レッチリの感傷性は個人的な悲しみからも生まれているし、彼らを取り巻く社会的な状況からも生まれていると。

田中:だからこそ、あの曲がロサンゼルス暴動を報じるニュースで何度も使われることになった。そしてそれが、チリ・ペッパーズが世界的なバンドになるひとつのきっかけだったんです。日本でもわりとそうだったんじゃないかな。

Maika:日本での知名度が上がったのは、勝手に(2006年作の『Stadium Arcadium』収録の)「Dani California」からだと思っていました。



田中:おっしゃる通りだと思います。ここ日本でもドカンッと爆発したのはあそこだと思います。ただ、90年代初頭と言うと、ガンズ・アンド・ローゼズの全盛期で、しかもニルヴァーナ筆頭にオルタナティヴバンドが一気に頭角を表した時期でもあり、そうしたうねりの中で当時のロックオーディエンスの誰もが彼らに注目するようになったのは、『Blood Sugar Sex Magik』のタイミングだったと思います。

ーそれが「Dani California」くらいで、お茶の間にも改めて浸透していったということですね。

田中:もう少しチリ・ペッパーズのルーツについて話を続けると、60年代後半から70年代前半にかけて活動していたストゥージズというバンド。チリ・ペッパーズのロック的な要素というのはかなりの部分でストゥージズからの反響があると思います。もうひとつは、英国ポストパンクバンドのギャング・オブ・フォー。彼らの1stアルバム『Entertainment!』(1979年)は90年代に再評価されることになるんですが、そのライナーノーツをフリーが書いてるんです。



Maika:えー!

Lily:(画像検索をして)あ、ほんとだ!


Photo by Mitsuru Nishimura

田中:ギャング・オブ・フォーは全員イギリスの白人で、チリ・ペッパーズはロサンゼルスの白人。で、どちらもアフロ・アメリカンのファンクの影響を受けた音楽をやっている。チリ・ペッパーズからすればおそらく、自分たちが比較的裕福な白人なのに、社会から弾き飛ばされていたアフロ・アメリカンが作った音楽をやっていいのか?っていう逡巡があったと思うんですね。でも、同じような音楽を英国の白人が先駆けてやっていたことで、たぶん自分たちが肯定されたような感じがしたんだと思います。フリーって馬鹿っぽく振る舞うじゃないですか。でも、実はメンバーの中で一番知的な人なので、彼が書いたものは素晴らしいです。

Maika:読んでみたいですね。

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